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第四章
男は数日後で二十歳になる。その日が来れば糸の導きの旅に出る事になる。そうなれば親とも生まれた月にも帰れなくなる。それなのに今まで育った月での想いを心に刻む事ではなく、今まで夢に見ていた世界の女性や話に聞く景色ばかりを思い浮かべ、夢遊病のように常に足が地に付いない状態に見えた。それとも悩みでもあるのだろうか。恐らく、今いる場所も分からないだろう。此処に来られたのも生真面目に、起床、就寝時間から始まり訓練所の行き帰りのまでの歩数に、扉の開け閉めまで数十年間一秒も狂い無く生活をしてきたお蔭で来られたようだ。 「他世界に入ると、運命の人が居ようと居まいと、その者がその世界に入る事で時間世界の均等が崩し、起こした事により、他世界での滞在の年月が違う」 託児所のような騒がしい教室の中で、講師は資料をめくりながら話しをしていたが、その資料は話す内容と違っていた。 「ねえ、武叔父さん。お爺ちゃんになるまで、その世界に居る時があるの」 「先生と言いなさい。これから話すから」 講師は呼び方よりも、話しを聞いていた事に驚いたように感じられた。 今居る訓練所の講師は、施設を使用する者が教える規則になっていた。教えると言っても生徒の年齢が十九歳までと決まっているだけで、子守と監視と言っていいだろう。 「他世界入ると、人々と同じく歳を取り外見も同じように老けるが、子供を残すまでは死ぬ事は無い。世界の均等の修復を終われば別の世界に飛ばされて、二十歳又は、その世界の適用できる年齢に戻るが、運命の人が見付かるまで、永久に他世界の移動を続けなければならない」 今も講師は資料をめくりながら話しをしていたが、資料に興味深い事でも見つけたのだろうか。話しが途切れると、「世界の均等の修復」と、教室中に問い掛ける声が響いた。 講師は驚き資料から目を離して、子供達に視線を向けた。 「その意味か。言い方をかえよう」 講師は資料を閉じて、ようやく講師らしく話し始めた。 「他世界では虫一匹でも殺せば世界が狂ってしまうが、少しの物事なら自動で修復してくれる。だが、必ずと言って良いだろう。自分で修復しなければならない。これがその意味だ。ついでに言うが、次元世界一の科学力有る月での知識は、身に付けても他世界を狂わす可能性があるから意味がない。まして、月での常識は通じないぞ。何を覚えれば良いかなどないのだ。だから、旅立つまで、好きなように遊び、思い出を作りなさい」 講師は、男を見た。姿勢正しく椅子に座り、聞き入っているのか、それとも、寝ていると思い。起こそうと声を掛けるが、言葉は返さず。人形のように瞬きもしなかった。その様子を見て、皆は慌てた。病気か。それとも死んでいるのか。訓練所全体で騒ぎ出したが、最低帰宅時間が来ると瞬きを始めた。正気でも、その時間は解らないはずだが立ち上がり歩き出した。 周りが騒いでいるが、気が付かずと言うよりも、心が訓練所に、いや月にもいると思ってない。操り人形のような行動をしていた。人々はその姿を見て、死人が動いていると感じた。 男が帰宅すると、家の周りでは、心配する者や野次馬が押し掛けていた。二親はその対応に追われて、十数年間初めて夕食が遅れたが、男はその間、苦情を考える訳もなく。人形のように椅子に腰掛けて待っていた。 「ごめんなさいね。直ぐに用意するから」 家の周りは未だ騒がしいが、冴子一人が笑みを浮かべ家に入って来た。皆から悪戯が大事になり怯えているだろうから、安心させなさい。そう言われたに違いないが、扉を開け息子の顔を見るまでだった。言葉は返らず。息子の顔色を見ながら調理場に向った。調理の音を立てながら泣いていた。 「後、幾日しか無いのよ」 目から一粒の涙が零れ、呟いた。 この女性は冴子と言い。男の母だった。嗚咽を堪えるような作り笑いで料理を並べたが、息子は表情も変えなかった。 「お父さんは皆と外で話しがあるから、先に食べていてくれって。食べて良いのよ」 独り言のように呟くと、暫く息子を見詰めていたが、料理が冷めると思ったのか。一人で食べようとした。 「頂きます」 「い、た、だ、き、ま、す」 今まで声を掛けても反応しなかったが、食事の挨拶を呟くと、機械人形の動力が切れかけた動きと声を上げ、食べ始めた。 「輪。気が付いたのね。もう心配したのよ」 初めて赤子の顔を見た時のような、微笑を浮かべ訊ねたが、一言も返さず食べ続ける。食べ終えると、又、夢遊病のように風呂に入り寝てしまった。 「何でこんな風になってしまったの。月では病気など無いのに。旅にも行かずに、このまま死んでしまうの」 悲しみに耐えられないのだろう。独り言のように問いかけた。 「輪。劉さんが、煎餅を持ってきてくれたぞ」 斎も家に入り。連れ合いの悲しみの表情で、息子が治ってないのが分かった。そして、妻の心を和まそうと言葉をかけた。 「煎餅を食べるのだろう。紅茶を飲むのなら、薬草を取ってこようか」 「あなたが最終日には元に戻る。そう言うから任せたのに、どうするの。明日が最後なのよ」 立ち上がろうとしたが、声を掛けられ座りなおした。 「すまない」 息子の容態が変わらないからだろう。夫に対して、完全の八つ当たりである。 「今からでは、明日の料理には間に合わないわ」 冴子は、酒でも飲んでいたのだろうか、今度は泣き出した。 「私も手伝うからなあ。なあ」 「本当ね。本当なのね。なら、今から用意するわ。あなたは、倉庫から野菜と肉を持ってきて」 冴子の指示にしたがい、倉庫にある野菜、肉を全て持ってきた。そして、指示にしたがい容器に料理や野菜や肉を刻んだ物を入れていた。 「私の時はねえ。一週間は月での思い出を作ったのよ。ほんとにっもぅー。劉さんの写真を見たでしょう。劉さんなんて一月よ。月世界ではねーもー。菓子だけで終わったら、どー、するのーよー。料理はまだ半分なのに、明日までもー。もおー。ほんとにっもぅー」 冴子は自分で何を言っているか分からないようだ。たが、斎に当り散らしながらも、料理を作る手は休めないでいた。 斎は妻の後ろ姿を見て、劉が家に来た時の事を思い出していた。 「言いですか。今日一日何が有っても。はいとも、いいえとも言うなよ。ただ、ああと答えていれば、何事も無く終わるはずだから。あっ、息子さんに、これ持って来たから」 劉は、この世にありえない者を見た思いを思い出したように、青い顔して、此処に居ると命の危険を感じるような話ぶりで、自分が持ってきた物を手渡して、逃げるように帰っていった。 「あのう」 斎は妻の後ろ姿を見て、料理を作ると言うよりも獣と格闘しているように感じた。 それで、本当に料理を作っているのか聞こうとしたが途中で止めた。今声を掛けると身の危険を感じたからだ。予感と同時に父の話が思い出され、身体に寒気が走った。 幼い時に、飼い犬に噛まれた事があった。理由は忘れたが、確か自分が悪かったはずだったが、気持ちが収まらず報復を考えていると、父親に諭された事があった。 「お前に噛み付いた犬が特別危険と言う訳ではない。犬や獣は食べている物を途中で取り上げると、噛み付くのは当たりまえだ」 あの時の話は、私を説得しているように感じられなかった。噛まれた時も始めに声を掛けたのは犬にだったなぁ。此処で何か声を掛けると、想像できない事が起きる予感がした。私が悪かった事だったが、もしも、誰かにこの事を話して、私の思っている答えが返ってきたら、そう思うと怖かった。それからは、自分に身の危険を感じると思い出すようになった。今回も自分から係わらなければ、心も体も傷が付かない。何事も起きないはず。と、考えていた。 何を言われても、「ああ」と呟くだけでいい。 (劉さんも今の気持ちを味わったのだろうな。これで、煎餅が無かったと考えると怖くなる。劉さんには、心からの御礼をしなければならないな)そう心の中で思った。 「ふっ。はーあ」 斎は溜め息を漏らした。二親は、昨夜から起きていた。 「おはよう。一緒に食べようと思い待っていたぞ」 拷問から解放されたような顔をして、冴子に聞こえるように大声を上げた。 輪は機械人形のように歩き、席に着いた。螺子巻きが切れ掛けたような動きだ。 「朝食の前に、輪に食べさせたい物が有るのよ。美味しいのよ」 冴子は、斎に接する態度と息子とは、鬼と仏ほど違い、口調は幼い子供に話すようだ。 「・・・・・・」 輪に物を目の前で見せても、話しを掛けても息をして無いような無表情だった。 「駄目だ、食べよう」 斎は俯きながら、冴子に話し掛けた後、嗚咽のような声を呟いた。 「頂きます」 と、辛うじて聞き取れる声で、冴子は俯いたまま、涙をボタリ、ボタリと流し。祈る気持ちで、夫と同じ食事の挨拶をしようとしたが、言葉にも声にもならなかった。 「い・た・だ・き・ま・す」 輪は、食事の挨拶の言葉で反応し、声と体が動き出したが、今まで以上にかすれた声を途切れ途切れに呟いた。機械人形が、もし、死ぬとしたら、この様な声を吐きながらだろうと感じられる。手の動きも止まりながら、口元まで運べると思え無い。そんな動き方だ。そして、役目をかろうじて果たし、手は、口に入れられた食べ物の残りを持ち、動きは止めた。 「パリ、ポリ、カリ、パリ、カリ」 食べ物を口に入れ、舌が味覚を感じた。すると、機械人形が人間になる様な感じに、青白い肌が口元から赤みが広がり始め、食べ物を噛むほどに目の色、微笑みと、人らしくと言うよりも、物が人間になっていく感じがした。 二親は息子が別人の様な片言の挨拶を上げ、煎餅を食べる姿を見ずに頷いていた。 「駄目だった」 「うっうげほ。うっ、うげ、ほげ、ほ」 斎は一言上げ。冴子は声も出ずに、悲鳴のような嗚咽を漏らした。 二親は輪が死んだと、同じに思い。目を瞑ると、自然と今までに一番嬉しかった事や驚いた事は、息子の事ばかり。夫婦は笑みを同時に浮かべ、それを見ると、心の中で同じ幻影のような夢を見ているように感じられた。 思い出の幻影や夢は段々と遡り、息子の産声の場面で、耳に、息子の大声が聞こえた。 「これが、せんべい」 口に入れた物を全て食べ終わると、全身に赤みが広がり終え、輪は大声を上げた。 その言葉は、二親には産声と感じた。 「生まれた」 と、斎は大声を上げた。夢の中での産声と息子の声とが重なり驚きを感じだ。 「そうよ。美味しいでしょう。劉さんが作ってくれたのよ」 冴子は夢と現実が分からなくなり。口を開けたまま、何が起きたかを考え、微笑みを浮かべ、息子に返事を返した。 「美味しいよ。美味しいけど、涙が出るほど美味しいかなー」 輪は首をかしげながら訊ねた。 「お前が」 斎は、冴子が首を横に振るのを見た。話すなと感じ取り、話を途中で止めた。 「今日で最後よ。好きなら好きなだけ食べなさい」 冴子が話し掛けた。輪が、今まで二週間の事を憶えているか、輪の顔色で確かめた。 「最後、何が」 輪は少し考え、首をかしげて聞き返した。 「今日が、糸の導きの日よ」 冴子は二週間の苦しみと悲しみが、顔に表れ悪魔の様な笑みを浮かべた。 そして、笑いをこらえた。そんな話し方をした。 「今日、な、何で?」 輪は、母に聞こうとしたが、恐ろしい顔を見て直ぐに、父に顔を向けた。 「ああ」 斎は、息子に目で訴え掛けられたが、冴子の顔を見て恐怖を感じ、一声を上げて頷いた。 「何も聞かないから普通に戻ってよ。今日が最後なのでしょう。何日かの記憶が無いのは気に掛かるよ。それより、母さんたちの事が心配で旅に集中できないよ。もし、出来るなら、母さんの料理を食べ尽くしたい。多次元の事で参考になる事も聞きたいしねぇ。良いでしょう。母さん」 輪は、瞳から涙が零れそうな目を母に向けて、くぐもる声で話した 「話は後にして、朝食にしましょう」 冴子は、輪の話で気分が良くなり、先ほどの顔と比べれば、天使の様な微笑みを浮かべた。 「母さん」 輪と、斎は同時に言葉を吐いたが、言いたい心の中の気持ちは違っていた。 「二人してどうしたの。汗なんか掻いて、温め直すから、二人で汗を流してきなさい。急がなくても良いからね」 「・・・・・・」 二人は声を出そうとしたが、冴子は又、先ほどとは違う悪魔の様な笑みを浮かべた。 その為に又、恐怖で冷や汗を掻き、二人は無言で浴槽に向かった。 「味を確かめないとね。濃くはないと思うけど、涙で見えなかったのよねえ。今日の食事を想い出にすると言われたのですから。もしも、隠し味が入っていたらと思うと、確かめないとねえ。だけど、何で汗を掻いていたのかしら。ううむ。私は助かったけど」 独り言を呟いている時に、浴室から笑い声が聞こえてきた。 「好かった。ホントにっもぅー。味を確かめているのに、又、隠し味が入っちゃう」 浴室からの声を聞き、嬉涙をポツリ、ポツリと流しながら、独り言を呟いた。 「とん、とん、こと、こと」 浴槽に、調理をする音が響いてきた。 「輪、調理をする音が聞こえるだろう」 「うん」 「父さんはなぁ。この音が目覚まし時計として起きているのだぞ。ああ、勘違いするなよ。冴子が恐ろしい料理方法ではないぞ。生き物はなぁ。特に人は、熱、音、匂いの三段かで目覚めるのが体に良いのだぞ。太陽熱で冬眠から覚める生き物のように、程よい暖かさと、調理の音は、小鳥の春のさえずりの様な音で耳をくすぐる。料理の匂いは、花々の春の匂いに、羽虫が花に惹かれる様な香りで、嗅覚をくすぐるのだ。これが、理想の目覚め方だ」 父の話を聞いて、母の料理の音を聞いても同じ様な気持ちにはならなかったが、でも、父の話の通りなら気持ちが良い朝になるだろう。そう感じた。そして、風呂から上がり、朝食は男二人だけで食べえていた。冴子は、息子の為に、昼と夜の料理の為に夢中になっていた。その為だろうか、料理は可なり香辛料の効いた食べ物だった。それで、冴子が立って居た調理場からの甘い匂いには気が付かなかった。男二人は朝食を食べ終えて、お茶を飲みながら話をしていると、今まで一度も話題にしなかった。斎の花畑が見たい。そう言われたからだ。 「どうしてだ」 斎は尋ねた。視線は途中で息子から、連れ合いに視線を送った。 「別に理由は無いよ。ただ何となく花畑が見たくなっただけ」 妻に用事が有るか尋ねようとしたが、様子か変だと感じたが、まだ眠いのだろうと思い、何も言わずに連れ出す事にした。 輪は先に玄関を出て、開いている扉から父を催促するかのように見ていた。 斎は靴を履き、靴箱の上に有る鍵掛け箱から玄関の鍵を取り、いつもの癖をしていた。 癖とは鍵を取り出すと、鍵束の輪を右の中指に掛け回して音を立てる。 「シュウ。カチャン。シュウ。カチャン」 斎は合図を送るように何度も鍵束で音を立てる。そして、何度も母を見る為に振り返り名残惜しそうに扉を閉め、玄関を出た。それほどの興味とは何だろう。そう思うだろうが、それは、無事を祈る。冴子の接吻だった。 冴子は鍵音に反応する可のように、壊れた時計の針のように、首を父に向けたり、虚空を見たりを繰り返しの仕草をしていた。 「ギイイ。バタン」 扉が閉まる。その音は合図だったのだろうか、冴子は動き、椅子に座ると、虚空を見詰めていた。その動きは操り人形の糸が切れて、偶然に椅子が有り、座ったと思う動き方だった。 そして、少し時間が経つと、調理場の方から音が聞えてくる、目覚ましのような大きな音。 「チィン。チィン。チィン」 と、音が室内に響いた。冴子は首を左右に振り、音と匂いの元に向かった。 「あれ、パンが出来ているわ。何でかしらねぇ。え~と」 冴子は、目を大きく開けた。今起きたのだろうか、それとも、パンに驚いているのだろうか。そして、少し考えていたが、匂いに負けて考えるのを止めた。 「わあー。いい匂い。朝食の時よくあるのよね。食べたい物が出来上がっているのって、お父さんよね。私の分まで料理作ったの。まあー、そこが良いのよねー、えへへ。本当に優しい人、明日から二人きりになるわねー。ぐっ、えへへ」 朝食の後片付けをしながら、二人が聞いたら腰を抜かすような言葉を吐き、これ以上ないほど顔を崩し、涎まで垂らしていた。自分の妄想で恥かしい気持ちを隠す為に、食卓を叩き皿が落ち割れるまで、夢を見ていた。 「今日は何の紅茶にしましょう」 食欲に意識が行き、周りが見えていないようだ。自分が壊した皿などを器用に避け、朝食の用意を始めた。 もし、家の周りに集まった野次馬が、冴子の独り言や朝の出来事を前から見ている者が要れば、あの輪の行動が月人全員に広まる事は無かっただろう。ただ、「親子だね。」と笑い話で終わっていただろう。 その頃、父と子は、花に水や花の手入れをしていた。斎に言わせると作業ではなく、子育てをしている。と、真剣な顔で話すだろう。 (何があったか、聞いてみるか) 朝の入浴で絆が深まったと思ったのだろうか、心の中で思案していた。 「休憩にしょう。お前の下に有る薬草を摘みなさい。紅茶に入れるから」 斎は水撒きを途中で止めて話を掛けた。 「お父さん。これで良いの?」 斎の目線に入らないはず。だが、全ての花や薬草が何所に有るか解るかのように、的確に指示を出した。 「そうだ。十枚ほど取りなさい」 小さな物置を兼ねる小屋から、手招きをして輪を呼んだ。 「ここ数日、何か考え事をしていなかったか、純粋な月人では無いが答える事は出来ると思うぞ。悩み事を言ってごらん」 息子を椅子に座らせると、薬草を洗いながら話を掛けた。 「悩み、悩みねえ。うっ、ううっう」 父が真剣な顔で話すので、考えこんだ。 「悩みと言う、悩みはないよ。如何してもと言うなら、父さん達が煎餅を食べたいと言った事位かなあ。どの様な食べ物なのか考えていたよ。それ位かな」 輪の記憶の中では昨日の事でしかない為に不思議そうに呟くしかなかった。 「えっ」 輪の数日の行動を見れば、誰でも世ほどの事が有ったと思うだろう。それで、斎は、息子に訊ねたが、帰ってきた言葉が予想と違い驚きの声を上げた。 「母さんがね。旅に出掛ければ一生会えなくなるが、連れ合いが見付かると、月の導きで一度だけ月で会える。その時に、土産物は煎餅が良いなぁって、お父さんも食べたいと言ったから、どれほど美味しい物なのかなぁーって、少し考えていた。それだけ」 輪の記憶の中では、一昨日の事だ。親が忘れて要る事で大声を出すが、話の最後は済まなそうに、頭を下げ途中で話を止めた。 「どうした」 済まなそうな顔をして聞いていたが、突然言葉が切れて。又、病気が始まったと思ったのだろう。席を立ち息子の元に行こうとしたが、声が聞こえ肩を落とした。 「父さん。母さん楽しみにしているけど、お土産物は月に持ってこれ無いって」 「そんな事を誰が言った」 斎は掴み掛かる勢いで声を上げた。 息子の話を聞くと、月人の中でも問題の家族だった。その家族は他人の話を全く聞かない。それでも、人とは付き合わずにひっそりと暮らすなら問題がないのだが、そうではなかった。何かの事件があると必ず原因は、その家族なのだった。関わらなければ済む。そう思うだろうが、口が達者と言うか、暇があれば話をするのだ。それも、三人家族の全てが、知識があるから問題だった。知識でも、噂話でも、会話では誰も言い負かす事が出来ない。一言、言葉を掛けると百は言葉が返ってくるのだった。そのような家族と話をして、息子が自殺しなかったのが安心だったが、自我が崩壊するほど、言葉を掛けられて夢遊病になったと分かったのだった。 「息子よ。安心していいぞ。煎餅は持ってこられる。勿論、時の流れが違うと言っても腐る事も、消えることはない。それは、髪が伸びたり縮む事はないし、着ている服がぼろぼろになったりしないと同じだ。それに、煎餅が無い世界もあるだろう。その地で煎餅の話題や作り方を教えれば確かに時の流れは変わるだろう。だが、輪が、その世界に入るだけで世界は変わってしまうのは分かるな。それを修正しないと他の世界に行く事が出来ないのだぞ。何か問題があれば修正すればいいのだ。難しく考えるな。ああ、あの親子の口癖も合ったな。確か、他世界では、ある人物が王の世界と、死んでいる世界が在る。そして、自分から世界を変えようとして入ると、殺そうと思う人物は死んでいるか、存在していない世界に入るはず。だから、何をやっても世界は変わらない。また、何かを作ろうと行動しても、全てが先に起こり。何も出来ないはず、連れ合いを探す旅は、その世界を、自分の思う世界に変える世界だ。例えば、煎餅職人になれる世界。または、自分がある物を壊したい。ある動物を殺して食べたい。そのような世界が存在するはず。だから、その世界を探しだすまで、他世界を飛び続けるはず。 それに、飛ぶ理由も言っていたな。十個だけ入る所に、一つが入る事で狂う。その一つと言うのが、輪の事だ。自分が思う世界ならば、そのまま居られて連れ合いとも会える。何故、別の世界に飛ぶのか。それは、謝って世界に来た為に、自分が来る前の状態に戻さなければ成らない。 自分が、この世界に必要で無い者にする為、いや、自分で、その世界を壊して飛べるようにしている。そうとも、言っていたな」 「お父さんの話を聞いて考えていたら、頭が痛くなってきて、ああっ思い出すのも嫌だ。 土産物を持って来られるのは分かったから、何を言われても気にしない。もう言いでしょう」 涙を浮かべ、嗚咽を吐きながら叫んだ。 「分かった。母さんの所に行こうか」 斎は食器を小さい台所に入れると、輪の肩を叩きながら声を掛けた。 「いくぞ」 輪は気持ちが落ち着くと歩き出した。そして、家に近づくと想像も出来ない。物凄い音が聞こえ、走って家に向かった。 「どがが、がんがん、どどどっ、がご」 家に居る冴子は、野菜と肉とで格闘しているように感じられた。見ようによれば手際の良い料理人に見えなくも無いが、包丁の音が外まで聞こえ、音に殺気が感じられた。 「怖い。母さんって、こんなに怖い顔をする人だったのお父さん。あの肉、人間の肉だと言われれば冗談でも。誰でも信じると思よ」 輪は驚き、父に囁いた。 親子は玄関の扉を開けようとしたが、家の中から殺気を感じ取り、外から中の様子を窺った。 「あのねえ、お父さん。お母さんの様子を見たら友達の話を思い出したのだけど、糸の導きの旅って嘘で、門を通る人を食べているって話は嘘だよね」 輪は青い顔をして、父の返事を待ったが返らないのは本当の事なのかと思い。身体の震えが止まらなくなった。 「自分の子供を食べる親がいるはずがないだろう。何を考えている?」 斎は顔を真っ赤にして声を吐き出した。 「何をしているの」 斎は何も考えずに大声を吐き出したが、妻の声で最後まで話す事は出来なかった。 「他人の肉なら」 血が付いたままの母の微笑や前掛けの血を見て、父に問いかけようとしたが、先ほどよりも恐ろしくなり、言葉を飲み込んだ。 「パンが焼けているわ。入りなさい。あっそうだ。家散らかっているから外で食べましょう。父さん用意してね。そうそう、夕飯も門の前だから食べ終わったら持って行ってね。お願いね」 冴子は、料理の準備が一段落したからだろうか、嬉しそうに言葉を掛けてきた。 「はい」 父と子は女性と違い血が怖いのか。それとも、冴子の顔は作り笑いと感じたのだろうか、青い顔をして頷く事しか出来なかった。 「今日のパンは果物を入れてみたの。美味しいでしょう。沢山あるからお替りしてね」 冴子は優しい声音で話し掛けたが、料理を作る手は休めず、振り向きもしなかった。 父と子は調理の音に恐怖を感じて、逃げるように食事を済まし、夕食の準備に行くと告げ、車に乗り込んだ。 「お父さん。お母さんは真剣な顔をして、何を作っていたのかなあ」 車の運転の緊張をほぐすのは、普段は母の役目だが、母のように話し掛けたが安心させる事が出来ない。それでも話し続ける。斎は聞こえていたが、自分でも何を作っているか分からない。それに息子が言いたい事は、あの場面を思い出してくれ。そして本当に人の肉を使って無いと答えてくれ。そう言って欲しいのだろう。だが、息子に人肉の事は忘れろ。と、話すと又、あの時の妻の顔を思い出す。その顔だけは二度と思い出したくなかった。 「お父さん。お母さん食べられる物を作っているよね。何でこんな事を思ったかと言うとねえ。訓練所で噂になっているよ。月人の若さの秘訣は人肉を食べているって、そう言うのだよ」 「・・・・・・・」 息子には悪いが、運転に集中して気が付かない事にした。 父と子の行き先は旅立ちの門と言われている所だ。砂浜に近くて波の音が届く松林の中に在る。昼間は見付かり難いが、日が隠れて松林の中に入ると、月の光が門に反射するのが見える。その光を辿れば直ぐに分かった。門を中心に半径百メートルは草木も生えてない。清掃など勿論していないのだが、新築のような綺麗な所と言うよりも。作られた時から時間が止まっていると思える感じだ。人々は門の用途も何時造られた物なのか解らない為に、七不思議の一つとされている。 そして、人々は親しみ込めて様々な名称で呼ばれていた。多く使われている名称は旅立ちの門と言われていた。月には何ヶ所も次元の歪みが在るが、ここだけが次元の歪みが緩く子供の遠ざかる姿が見える事から、安心して見送る事が出来るからだろう。わざわざ門で過ごすと考えたのは、冴子の気まぐれで始まったのではない。月人なら当然の行事だった。誰が始めたのか定かではないが、稀に子供が旅を嫌がり逃げ隠れする者がいた為に始まったのだろうが、二十歳を過ぎて月には居られない。門以外の場所で時間が来ると一瞬に消える為に、旅に出たと言うよりもこの世から消えた様に思える。その為に、監視ではないが、最後の日には門の近くで家族と思い出を作り、子供を旅に送り出すのが普通だった。 「輪、着いたぞ」 寝ている我が子の肩を叩いた。 「ううう、んんん」 呻き声を上げると辺りを見回した。何時の間にか寝ていた事に気が付いたようだ。 「早く荷物を降ろして、母さんを向かいに行くぞ。早く手伝え。ほら早く」 息子が又寝ると思い。荷物を運びながら言葉を掛け続けた。 「おーい。帰るぞー」 息子が荷物を解いていたが声を掛けた。 「このままで言いの」 荷物を指差して声を上げた。 「大丈夫だから来なさい」 二人は車に乗り家路に向かうが、息子は行きで話し掛けても返事が返らないからだろう。直ぐに寝息を立てていた。斎はこの周囲には月人がいないと分かっている筈だが、周囲を見すぎると思うほど見回し、カチカチに緊張しながら運転をしていた。怒りを覚える息子の話しでも緊張が解れていたのを気が付いていなかった。 「信号は有った方が良いなあ」 突然呟き。ふっと考えが過ぎった。 (妻は景色が見えないから、馬車と同じ速度で走って欲しい。何か興味の惹く物があると止まってと言い出すが、今思うと危険と思う所では理由を付けて止まるように考えてくれたのだろうなあ。そう言えば、妻と乗る時より速度を出しているかぁ) 速度計を見て、心で思った事が正しいと感じた。そして有る事を、妻に話さなければと考えている内に、家に着いていた。 「玄関に有る物は積んだが、他にないのか」 斎は息子を寝かせたまま。玄関に積み上げた荷物を車に積み終わると、妻に聞こえるように大声を上げた。その頃の冴子は、用意が終わったらしく、身だしなみを整えていた。野菜や肉などの切り分けの時に汚れた為か、それとも、輪の記憶に残る最後の日の思い出に残るように、念入りに化粧をしていた。 「他にはないわよー」 声を上げて直ぐに、やけに服装を気にしながら玄関に現れた。幼い時に息子が好きだと言った服なのだろう。月人は子供が旅に出なければ年を取らないが、体型は変わるからだろうか、複雑な表情からは、恥かしいのか怒りなのか、判断は出来なかった。 「あのさぁ」 普段の斎は、運転すると無口なのだが、今は妻が車に乗るのを待っていたように感じられた。 「交通法規を作る事に協力して欲しい。せめて信号機だけでも良いから」 妻は景色を見続けて興味を示さないが、話を続けた。 「欲しいのなら話はしますよ。だけど、九割の人は要らないと言うわ。人口九十万人の内で車を動かしているのって、私達だけよ。誓っても良いわ。確かに、人口の半分は車を持っているわ。だけど自動制御よ。考えてみて、此処に来る前は車も見た事のない人がいるのよ。それに誰が教えるの。他の人の事を考えた事ある。あなたが月に来た時、自然が溢れて懐かしい。いや理想の世界だって言ったけど、逆にあなた達の思う未来世界だったら、そして全てを覚えろと言われたら出来ます。その人が、月に来て始めて鉄を見た人だったら、考えてみて」 話しの途中とも思えたが、冴子は話しを止めた。門に着いたからなのか、斎の考えに呆れて止めたのだろうか。車から降りようともせずに、暫く車の中は沈黙が続いた。輪はこの雰囲気に嫌気を感じて、父と母に視線を向けた。父は俯いたまま気が付かないが、母に向けると、言葉を掛けてくれた。 「輪、火を熾せる。旅に出れば必要だから熾せないのなら、お父さんに聞きなさい」 視線を感じると、微笑を浮かべ囁いた。 父と子は微笑を浮かべて頷くと、それぞれ、分担して食事の準備を始めた。火を熾すと、冴子は簡単な料理から作り始め。真っ先に息子に勧めた。 「お母さん。ただ肉を焼くだけなのに、外で食べると美味しいねえ」 輪は空腹の時は考え無かったが満ち足りると、旅立ちの不安が膨れ上がってきた。 「どうした」 先ほどまで、この世にこれほどの幸せがないと思える笑顔を浮かべていたが、笑みが消えた為に声を掛けた。 親に気遣う息子を見て、自分の顔か、態度が怖いのかと考えた。二親は同じ事を考えていたのだろう。同時に連れ合いの顔を見たが、言葉に出さずに微笑を返した。 (私達は悪くはない、息子の性格だろう) と、心の中で思い合った。 輪は誰にも言った事は無いが、その微笑が怖いと思う。特に目と目を見つめ合い微笑みを返し合って頷く事が、何か良からぬ策略があって、微笑を浮かべ、背中には刃物を隠し持っている。もし、目線を逸らしたら襲い掛かり食べられるのではないか。旅立ちは嘘で、私を食べる罠ではないか。そう考えてしまう。 「明日から何を食べれば良いのか。そう思うと心配になって」 輪は恐怖を感じた事は言わずに、別に考えていた事を口にした。 「空腹を感じるが、月人は子が生まれて旅立つまで死ぬ事は無いが、食べたくなれば狩りをしてでも食べなさい。私も肉や魚の捌き方は糸の導きの旅で覚えたのよ」 (それで料理を作る様子は、格闘をしているような調理方法なのかな)と、心に思う事は口に出さずに違う事を言った。 「生き物を殺す事はいけない事だって」 母のとろい語り口が終わったと思い、声を出して問うた。 「私もその事で悩んで、悩んで旅をしていたけど、在る人に言われて止めたの。輪も旅をすれば分かるわ。一つ良い事を教えるわね。生き物に遭って判断出来ない時は、導きの糸で傷を付けなさい。傷を付けられない生き物は、助かりそうも無いと思っても助けるようにしなさい。輪が来た為に怪我をしたのだからねえ。その逆は分かるわねえ。あれこれ考えるのは止めて連れ合いの事だけを考えなさい」 母の語り口調は同じだが、微笑に恐怖を感じ、一言だけ声を出した。 「はい」 家族は、輪が数時間後に旅に出る事を忘れているのか。普段と同じに接していた。父と子は食事を残すと、冴子が怒るので犬のように食べ続ける。それとは反対に、母は「美味しい、美味しい」と、ゆっくりと味わって食べるのが普段の様子だった。そして、斎が食事から酒に替わる頃に、輪が部屋に戻るのが普通だった。今も、そう思っているような様子だ。 今までならこれで一日が終わるが、最後の日だからか、父から酒を勧められて、始めて父と飲み交わしていた。 「輪。その位で止めなさい」 母に言われて飲み物を替えた。残された時間は、昔の想い出の話しで過ぎていった。 「行って来るね。お土産持ってくるから」 輪が話し出すと同時に、母は息子に視線を向けた。母も月人だから時間が分かるのだろう。斎は一瞬意味が解らず考えた。そして、月では斎だけしか使用しない腕時計を見て、嗚咽を吐くような声を上げた。 「時間が来たのか」 輪は席を立ち上がると脇目もふらずに門に向った。二親はその後ろ姿を見て頼もしく思ったが、駄々をこねるように何度も振り返って、別れを悲しんで欲しかった。一歩、二歩と門に入る。このまま振り向きもせずに行ってしまうのか。心は此処には無いのだろう。千鳥足だが確かな足取りを見て我慢出来なくなり、声を掛けようとした時、輪は振り向き笑顔で大声を上げた。 「お土産楽しみにしていてね」 先ほど飲みながらの話を聞き気持ちが吹っ切れたのだろう。旅に行く事が楽しくて、楽しくて、これほどの楽しみがない。そう思う笑顔を浮かべた。 輪は二親に別れの笑みを送った後、門の形に切り取った様な、月明かりも射さない夜の闇より暗い通路を千鳥足で歩いている。 親の温かい心遣いが、気づいて無い事が良く解る。酒の力が無ければ門に入る事が出来なかっただろう。良くても手探りで歩いていたはずだ。輪はとても闇の中とは思えない歩き方をしている。目は開いているが白昼夢を見ている感じだ。多分、連れ合いに出会った夢か。月女神が、輪を渡り安い様に手を引いてくれる夢か、その、どちらかだろう。まるで、幼い子を寝かせる為に物語を聞かせ、夢を観させて寝かせるようだ。それで、酒を飲ませたのだろう。程よい酒の力と、楽しい旅だけを考えさせる為に、その様子を、二親は光も届かない門を見続けた。まるで、水と油の様にはっきりと、暗闇から輪の姿を現していた。一歩、歩くごとに小さくなる。その姿を闇が渦を巻いて消えるまで見送り続けた。 最下部の第五章をクリックしてください。 PR |
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物語を書いて五年になりましたが、私は「左手の赤い感覚器官(赤い糸)と「蜉蝣(カゲロウ)の羽(背中にある(羽衣)の 夢の物語が完成するまで書き続ける気持ちです。
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