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第五章
「・・・さん」
 囁くような声で聞き取れなかったが、笑みと口調から女性の名前と感じたのだろう。
「信じられない。膝枕をして上げているのに他の女性の夢の代理に使うなんて」
 女性は、自分が原因だと言うのに怒り声を上げ、膝の上の輪の頭を肘鉄でどかし、地面に叩き落とした。
「ううううっうう」
 目を覚ましたが、全身の痛みで一瞬息を止めた。何が起きたのか分からないが、痛みで声も出せないでいると、綺麗な手ふきが近づき顔に触れた。痛みと冷たさを感じると、同時に声が聞えてきた。
「大丈夫ですか」
 女性は声が聞えると誤魔化す事に決めたようだ。今にも泣き出しそうな顔。手は振るえ、身体全体が心配していますよと変貌し、瞳を潤ませ、搾り出したような声を上げた。
「何が有りましたの」
 女性は又変貌した。恥かしそうに首を少し横に傾けながら笑みを浮かべ、少女が異性と始めて話をするような声色で話を掛けた。
「私にも分からないのです。何故、身体中が痛み、寝ていたのか」
 輪は、女性の笑顔を見詰めた。笑顔は妖艶とも天使ともいえる笑みで、均整のとれている身体は言う事はなく。歳を問わずに男性総ての心を捕らえるだろう。勿論、輪も目を逸らす事も、他の事を考える事も出来なかった。
「此処に連れて来られたと言う事ですか」
 大げさに驚き回りを見渡した。
「そう言う事では無いのですが」
 段々と記憶が蘇ってくる。真っ先に思い出されたのは肉体の感覚だった。官能的な暖かさに、柔らかさ。まさか、目の前の女性に触れていたのか。顔が火照りだして、恥かしいような、済まないような気持ちになり。目線を合わせられなくなった。
「この近くに用事があるのですか。近くには私の家しかありませんよ」
 演技ではなく。眉まで寄せ首を傾げた。育ちは良いみたいだが、お頭が弱い。そうなのかしらねえ。それともいかがわしい事でも考えて、誤魔化しているのかしら。
 女性は顔色を変えずに考えを巡らした。
「私は在る人を探して旅をしています。此処には来たくて着た訳で無く。あっ攫われて来た訳では在りませんから。何て言えば良いのか、探している人が」
 二人が話していると、女性の家の方から車の光が見えた。輪は話を途中で止めて、女性と車を交互に見詰めた。
 女性は眉をしかめている。誰が来るのか知っているらしいが、顔色から判断すると来て欲しくない人らしい。これから何が起きるか時の流れに任せるしかない。今まで何回も時を飛んでいるのだから)そう、思案すると、車の光を見続けた。
「今から来る車ね。私の父だと思うから、もし父に何かを聞かれたら、「人を捜して旅をしています」後は、言い訳みたいに言わなくて良いわよ。それ以上何か言うと、私も貴方も困る事になると思うわ。お願いね」
「はい」
 女性の話しを聞いている内に、女性の顔が料理を作る血の付いた母の顔と重なり、恐怖を感じて言い返す事が出来なかった。
 女性の話が終わると、何も話さず車が来るのを見続けた。
「又なのか」
 月の光に照らされた。松の木と二人の姿を見付け、運転する男は呟いた。
 二人の指の数を全部数える事が無く、車が着いたが直ぐには下りて来なかった。車の光が消えると同時に男が降りて来た。その男は六十歳位で不機嫌そうな顔している。この時間なのに堅苦しい服装で、服装の乱れもない。輪の経験だと軍人だと感じた。この手の人には何を言っても話しが噛み合うはずが無い。先ほどの女性の話に納得して、父が何を話しても、女性の話の流れに任せる事にした。
「骨には異常は無い。傷は有るようだが大丈夫だろう。打撲だけだな。起きられるか」
 父は地面に寝ている輪の元に着て、体を調べ終わると、冷たい視線を娘に向けた。
「・・・・・・」
 娘は一瞬の間を措き、頷いた。
「君。この時間では泊まる所を探すにしてもこの身体では無理だろう。私の家に泊まりなさい。迷惑だろうと思う気持ちは分かるが、怪我をしている時は、声を掛けてくれる人の話を聞くものだ。分かったかね」
 女性の父は、先ほどまでは一区切りずつ話を選んで語るようだったが、今の話し方は別人のような感じと言うよりも、役者が役を演じると言うよりも、まるで使い慣れた言葉を話すように感じられた。
「起こすからお前も手伝え」
 輪の返事を聞かずに、親子は手馴れたように車の後部席に運んだ。
「すみません」
 輪は先ほどの女性の話を聞いていた為だろう。一言だけ口にして大人しく従った。
 車は直ぐに走り出した。女性の父が煙草を一本吸い終わると止まり、一人で車から出て行った。その後ろ姿を目で追っていくと、玄関を開けて戻って来た。視線は家で止まり不思議な造りの家と思いはしたが、言葉にはしなかった。輪は玄関が二つ有る家を見るのは初めてだった。この世界の伝統の家か新築らしいので解らないが、嬉しくなり傷が少し癒されたような感じがした。
「すみません」
 車から降ろす時は乗せる時と違い、死体でも降ろすような表情をされて、恐怖を感じ取り。自分を落ち着かせる為に声が出ていた。
「奥の部屋に床を用意してくれ」
 左の玄関に入ると直ぐに父が声を上げた。
「分かりました」
 父の妻だろう、直ぐに声が帰ってきた。
「床を用意していますから、此処に居てください。先ほどは暗くて解らなかったが、もう一度傷の具合を診ようと思います」
 父は薬品を捜しながら、言葉を掛けた。
 輪は部屋に入ると薬品の匂いはするが、何も無い部屋に驚いた。待つ間に部屋を見渡した。部屋は六畳位で、奥にも部屋が見えるがその奥は解らない。隣の部屋から音が聞こえてくる。床を用意しているのだろう。この部屋には生活感が無い。家が新築して荷物が来るのを待っているような感じがしたが、薬品の匂いに関しては考え付かない。不審に思い親子に視線を向けたが、女性に口止めされていた為に声を上げなかった。
「氷水と手拭を持ってきてくれ」
 父は部屋の隅に有る薬箱を持つと、思い出したように娘に声を上げた。
「あっ、それと何か着る物も頼む」
 父の声に返事を返さないが、一瞬振り向いたので聞えたのだろう。娘に声を掛けながら輪の手を回したり、足を動かしたりと一通り身体を診ていると、女性が現れた。
「大丈夫なの」
 輪は答えようとしたが、痛む箇所を触られて悲鳴を上げるのと同時に父が声を上げた。
「念の為に明日医者に連れて行く」
 女性は話を聞きながら父の側に行き、持って来た物を父の隣に置き、椅子に座った。
「その服に着替えなさい。食事が出来たら呼ぶから少しでも冷やしていた方が良い」
 父は話し終えると立ち上がり、娘に鋭い視線を向けた。先ほどから父の視線が何を言いたいかが死ぬほど分かる為に、輪の元を離れたくなかったが、今の視線には逆らえなく。父と部屋を出ようとした。時に、
「出来ましたわよ~」
 母の気が抜ける声が聞えた。
「私は、部屋の外に居るから着替えたら教えて。一緒に行くから」
 話の口調から分かったが、何やらほっとしているように感じられた。
「先に行くが、お客には言い忘れるな」
「分かっています」
 輪は、何故に親子が真剣な顔になったか解らないが、不安な気持ちで親子が部屋を出て行く姿を見続けた。
「終わりました」
 輪は着替え終え、診察室のような客間六畳から出ると直ぐに、真剣な表情で母の料理を残さずに食べてくれ、そう言われたのだった。輪は、喜んで返事をしようとしたが、女性の話は、まだ続きがあった。それは、母の料理は、この世の物と思えないくらい不味い。そう言われたのだった。それでも、死ぬ気持ちで食べて欲しい。返事をためらっていると、女性は、また、悲しそうに呟いた。母親は料理を作るのが何よりも好きだが、自分の出産の時に舌の感覚が麻痺してしまい。それを伝えると、母の笑顔が見られなくなるから隠し通してきた。それを聞くと、輪は喜んでうなずいた。
「お願いね」
 また、確認をすると、輪の体を支えながら八畳と六畳が並ぶ短い廊下の突き当たりの部屋。二世帯住宅の食堂兼居間に案内された。
「冷めてしまったわ」
 扉を開けると直ぐに話し声が聞えてきた。その声は女性の母の声だった。幼さが残る少女のような声色だったが、素顔が分からない程に頬を膨らませ、視線で人が殺せる目で見詰められた。
「もー食べられませんわ。折角作りましたのに勿体ない事ですわ」 
 身体は蛇に見詰められた蛙のように動けなくなったが、女性に手を強引に引かれて椅子に座った。その時には、父親は涙を流しながら美味しい、美味しいと呟きながら食事を食べていた。そして、女性も同じ様に食べ始めた。その様子を見ると、輪は、先ほどの話は冗談だと感じて、満面の笑みで食事の挨拶をした後に、一口食べたが、味覚の表現を考えられない程の不味さだった。
「あら、涙が出る程に美味しいのねえ」
 母と娘は同時に声を上げた。
 娘の方は本当の涙の理由が分かっているのだろう。輪の背中を叩き飲み込ませた。
「お代わりはありますわ。言って下さいね」
 女性の母は少女が始めて料理を作り、褒められた時のような笑みを浮かべた。
 輪は、母親が今の顔から鬼の目に変えないように食べ続けた。舌が味を感じる前に飲み込み、吐き気と息をする時は、「美味しいです」
と、声を吐き出す。その姿は女性の父とまったく同じだった。
「まあ、まあ、まあ」
「あっはは、お父さんとそっくりだわ」
(お母さん本当に嬉しそう。お代わりを勧めれば勧めるだけ食べてくれるからね。だけど、このままでは死んでしまう。母の料理を美味しいと思う人は母しかいないはずだわ)
「あら、これで終り見たいね。大丈夫です直ぐ作りますわ。待っていて下さいねえ」
 輪は、あまりの不味さに気を失い無意識で口に運んでいた。もし、母親の顔を見ていたら血の付いた自分の母の顔を思い出して、衝撃のあまり心臓が止まったはずだ。
「お父さん」
 止めてくれると思い。父に声を掛けた。
「君もそろそろ酒の方が良いだろう」
 父親のいつもの癖を言った。ほとんどの客人は食事よりも酒なら喜んで承諾するだろう。勿論、下戸でもだ。輪の場合は意識が無く、条件反射のように茶碗を前に出していただけだった。
「おお酒にするか。茶碗は粋じゃないぞ。母さん。一番大きい杯を持ってきてくれ」
 母親が料理を作る為に席を立つが、止めさせる為に父が声を掛けた。母は頬を膨らませながら返事を返し、杯を持ってきた。輪は意識が無いのだが無意識で杯を受け取ると、直ぐに父親は酒を注いだ。それを、輪は一気に飲み込んだ。味覚は麻痺して分からなかっただろうが、その酒はアルコールの純度の高い酒だった為に、杯の酒を飲み終わると仰向けに倒れてしまった。
「お父さん」
 父に大声を上げて、輪の容態を確かめた。
「急に倒れて寝てしまったよ」
 父は悲鳴のような声を上げた割には、笑っているように感じられた。
「お父さん。医者を呼ばなくて良いの」
「大丈夫だろう。規則正しい寝息をしているから部屋で寝かしなさい」
 娘の心配する顔を見て、父は微笑みを浮かべて話した。
「お母さん。私、風呂に入ってくるから、後で部屋に連れて行くの手伝って」
 輪をそのまま寝かしたまま、女性は風呂に、そして、夫婦の楽しい会話だけが部屋に響いた。
「お父さん寝てしまったの」
「そう、寝てしまったわ」
 母親が困っていると娘が風呂から上がってきた。
「後で。お父さんもお願いね」
「はい、はい。重い、お母さん手伝ってよ」 
 二人の女性は微笑み浮かべた。母と娘は父と輪を部屋に運び終えると、女性だけが部屋に残り、怪我をさせた償いだろうか、輪の顔を冷やしていた。
「ごめんね。ごめんね」
 女性は小声で何度も囁いた。
「ありがとうね。ありがとうね。お母さんの料理をあんなに食べた人初めてよ。お母さんがお代わりを作ると言った時は驚いたけど、嬉しそうな顔は久しぶりに見たわ。ありがとうね」
 女性は、腫れている所を冷やしながら嬉しいのか、悲しいのか、解らない表情で呟いた。
「うっうっうう」
「お母さん」
 輪は苦しそうな声を上げた。すると、身体の部分の箇所が透けたり、透けなかったりし始めた。女性には痙攣しているように見えたのだろう。痙攣を抑えようと触れたまま、大声を上げて助けを求めた。扉の方を見詰めながら助けを待っている時だ。輪の身体は全てが透けた。人型の窓のように夜の森が見える。そして、吸い込まれるように別の世界に二人は飛んだ。 
 突然だろうが、輪が食事を食べた事で修正が終わったのだ。何故、そう思うだろうが、母親は引きこもりに近い状態だったが、輪の食べっぷりを見て新しい料理を考えたのだ。それで、外出をすると、気持ちが解れて引きこもりも直り、近所、友人たちが料理の犠牲になる。輪が、この世界に来た事で、違う時の流れに変わったのだ。
最下部の第六章をクリックしてください。 
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物語を書いて五年になりましたが、私は「左手の赤い感覚器官(赤い糸)と「蜉蝣(カゲロウ)の羽(背中にある(羽衣)の 夢の物語が完成するまで書き続ける気持ちです。
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