第十二章
七人の女性は同じ部屋で寝ていたからだろうか、それとも、左手の小指の赤い感覚器官の遺伝子の記憶だろうか、七人の女性は同じ夢、過去で起きた。転生する前の、自分の過去の事を夢で見るのだった。七人の女性は気が付くはずもないが、完全に熟睡した。それから、十二時を過ぎた頃から夢が始まった。その夢とは・・・・・・・・・・・。
現代の七人の女性が生活している時代よりも7500万年前の現在の月での生活だった。その月は、現代で分かりやすく言うのならノアの箱舟と思ってくれたら分かり安いだろう。勿論、月の主は、始祖の真だ。住人は、代々、近衛部隊の片翼を担っていた一族が住んでいた。その一族の女性で、真の后と側室だった。七人は愛称で呼ばれていた。今日子は、日姫と呼ばれていた。美穂は、月姫。由美は、火姫。瑠衣は、水姫。明菜は、木姫。明日香は、金姫。真由美は、土姫。だった。その名前が、自分達と分かるのは当然だろう。自分自身の過去を見ているのだからだ。それは、本名では無いが、一週間に一度だけ真と会えて、持て成すのが役目だった。その為に、決められた曜日の名前で呼ばれていたのだった。そして、月の中心に真と七人の姫の専用の建物は一族が守るように建てられていた。その建物の月曜の朝から夢が始まるのだった。それだけでなく時刻を知らせるように決まった時間に悲鳴のような声が響く事も思い出すのだ。
「うぁあああああ、もう時間が過ぎているわ」
と、それは、今日子であり。日姫の叫びだった。
「早く、真様の部屋に行き支度の準備をしなくてはならないわ。まあ、月姫だから何も言わないだろうけど、今度の月曜からは早く起きるわよ」
今日子は呟くが、今日子と真は、幼馴染で,
幼い頃から同じ建物で住んで居た頃から考えていたが、一度も守る事が出来なかった誓いだった。
「おお今起きたかぁ。また、同じ誓いかぁ」
と、真は、自室で身支度を整えて待っていたが、無理して待たずに次の曜日の姫の所に向かっても良いのだ。だが、姫の気使いとして共に次ぎの姫の所に行くのが普通だ。一人で行くと、その部屋の姫が不手際をしたと思われるからだ。それでも、時間だけは守るのが礼儀だったのだが、日姫は、一族の長であり、許婚であった。それで、他の姫とは特別の扱いだったのだが、限度はあるだろう。悲鳴が響いてから、呆れるくらいの時間が過ぎているのだ。一時間くらいだろうか、時刻では十時が過ぎていた。約束の時間から二時間も過ぎているのだ。
「お待たせしました。あっ、身支度は済んでしまったのですね」
「許婚だが、未成年ですし、私も恥ずかしいですよ。着替えは一人で出来ますよ」
「そうよね。それでは、月姫の所に行きましょうか?」
「そうですね」
真が頷くと、館から出た。この建物は変わった作りをしていた。建物の中心に寄り添うように二軒の部屋が作られ、別々に真と日姫が住んでいた。それを守るように周りに六軒の部屋で囲まれていたが、行き来をする為に廊下が作られていたのだ。その廊下を二人だけで歩き、月姫の部屋に向う。無言で歩いているのは、時間に遅れて月姫に済まない気持ちからだと思えた。そして、部屋の前で立ち止まり言葉を掛けた。
「月姫様、朝食の儀に、真様をお連れしました」
扉の前で待っていたのだろうが、直ぐに言葉が返ってきた。
「日姫様、お連れの儀、ありがとう御座います。後は、私にお任せ下さい」
扉越しに言葉が聞え、その言葉を聞き終わると、日姫は、真に会釈をすると自室に帰っていった。真は、日姫に頷くと扉を開けた。
「月姫、おはよう」
「ニャ~」
「真様、おはようございます」
何匹の猫の鳴き声と同時に、月姫の挨拶が聞えた。この姫は、別の愛称、猫姫とも言われていたのだった。部屋の中に、三十匹の猫と暮らしていた為だろう。
「今ねぇ。猫のご飯や掃除していたの。ごめんね。真様の専用の椅子に座って少し待っていて、直ぐに朝食の用意をしますからねぇ」
月姫が、そう呟くと、シートに覆われていた椅子を勧めた。真は頷き、自分でシートを退けて座った。何故、隠しているのかと疑問に思うだろうが、それは、真に対しての気遣いだった。猫の毛などで汚れないように被せていたのだった。勿論、それは、無駄に終わるのだが、椅子は毛が付いてなくても、猫が、真の膝の上に座りに来るし、足や手などに擦り寄ってくる。そうなれば、猫の毛が付いてしまうからだ。別に、真は猫が嫌いでないから気にはしないが、座る前から毛などで汚れているのを気にすると思い、月姫が考えたのだろう。
「真様、湯浴みの用意はしてあるけど、入ってきませんか、まだ、少々時間も掛かりますしね。ああ、変な意味で用意しているのではありませんよ。私、寝坊してしまって、湯浴みが済んでいなかったのです。もしよければ、先に入ってきませんか?」
真に視線を向けずに、愛しそうに猫のご飯や、水を変えながら問い掛けた。
「そうしようかなぁ」
真は、自分が、月姫の邪魔しているように思い。湯浴みをしようと考えた。その行動は偶然だったのだろうか、月姫の思惑だったのだろうか、猫が真に興味を感じたのか、遊んでくれると思ったのだろう。猫の殆どが真の後を付いてきて、浴室の扉のガラスを引掻いて遊んでと訴えていた。そのお蔭で、掃除などが遣り易くなったのは確かだった。
「月姫さん。良い湯加減でしたよ」
自分が着てきた物が無く、着替えを用意されていた。何時、来たのか気が付かなかったが、この準備をする気持ちがあるのだから変な思惑とは考え過ぎだろう.だが、真が変な思惑と考えているのは、普通の男性なら泣いて喜ぶのだが、真は、まだ、子供なのだろう。
「真様。それは、良かったです。無理に勧めて済まないと感じていたのですよ」
「私も、朝の湯浴みは好きですから、気にしないでくださいね」
「それでは、私も湯浴みをしてきますね。その後に朝食の用意をしますわね。自分の物や猫なら猫の毛など入っても気にしませんが、真様には食べさせられません。直ぐに上がってきますので、待っていてくださいね」
「そんなに、気にしなくてもいいのですよ」
「駄目です。真様が病気になっては大変ですからね」
「はい、楽しみして待っています」
それから、月姫が湯浴みから上がり、朝食の用意を初め、食べるのには十二時は過ぎる頃になった。日姫が、月姫なら何も言わないと考えたのは、このような状態を知っていたのだろうか、それとも、六人の中では付き合いが長いから許してくれると思ったのだろうか。
「それでは、ゆっくり食べてくださいね」
朝食は一般的な物だった。現代の日本で例えるのなら納豆と海苔と玉子焼きだった。勿論、味噌汁はあるが、手間が掛からない物だった。それと、当然だが、食事の間だけと思うが、全ての猫は別室に閉じ込めていた。猫の事が一番に考えると思ったのだが、先ほどの猫の毛の事は本当の気持ちのようだ。
「ありがとう」
「美味しいですかぁ?」
「うん、味噌汁が美味しいね」
「良かったわ。お替りもあるからねぇ」
「うんうん」
お替りはしなかったが、真は、お腹が一杯になったと、礼を返した。そして、月姫は、片付けが終わると、嬉しそうに隣の部屋を開けて猫を出して上げた。真は、月姫が嬉しそうに猫を抱え上げた姿を見て、問い掛けたい思いが膨らんだ。
「ねね、月姫さんは、何故、何十匹も猫を飼うのです?」
「飼う動機はね。他の六人の女性は一人で部屋に居るのか、どのような生活をしているか知らないけど、私は、一人だったのね。それで、寂しくて一匹のトラ猫を飼ったの」
「それで、私も、他の人の普段の事は聞かないねぇ。でも、皆、楽しんでいると思っていましたよ。月姫さんは、寂しかったのですか」
「この部屋に来て直ぐの時ねぇ。今は、忙しくて、そのような気持ちにはならないわ」
「そうかぁ。なら良かった」
「それでねぇ。トラ猫の臭いが体に付いてたのかしらねぇ。街に買い物を行くとね。野良猫がね。私の所によってくるの。お腹が空いているのかな、それとも、寂しいのかな、両方かもね。それで、何度か会っていると、抱っこしたくなって、ご飯も上げたわ。そうするとね。家まで着いてきてしまって、まさか、帰りなさいとも言えなくなってね。飼う事に決めたの。それの繰り返しね。それで、三十匹も飼う事になったわ。でも、家には居ないけど、ご飯だけ食べに来る猫も居るのよ」
「ご飯だけ、食べて帰るの?」
「そうよ。たぶん、その猫は、一度は飼われたのかもね。捨てられたと思うわ。もしかすると飼われたり捨てられたりを繰り返して、人とは暮らすのを諦めたのかしれないわ」
「そうか」
「私は、そう思っているから無理に触ろうとか、飼うとかは考えてないの。でも、何時でも部屋に入れるように隙間は開けているの。寒い時は、勝手に入って寝ているのよ。ご飯を上げたら直ぐ外に出て行くけどね。もしかして縄張りの見回りなのかもねぇ」
「猫って、そうなのか?」
「分からないわ。私の空想よ」
「なら、猫専用の建物でも作るように掛け合ってあげようかぁ」
「それは、無理よ。人の言葉が分かるはずもないし。空き家では住まないかもねぇ」
「そうか」
「そうねぇ。猫って気分屋な所もあるしねぇ」
「何となく分かるよ。楽しくないと住まないよ。そう言う理由でしょう」
「そうねぇ」
「ごめんね。変な事を聞いて」
「いいわよ。そうそう、猫の毛繕いをしてみる?」
「簡単なのかな?」
「簡単よ。猫専用の鉄の櫛で梳かすだけよ」
「ほう」
「見ていてね」
そう真に言うと、猫を抱っこして左手で頭を撫で、猫の気分をそらして、櫛で梳かす。それを何度か繰り返した。真様は、その姿を見て感心していた。恐らく自分でも出来ると思っているのだろう。
「やって見ますかぁ?」
「うんうん」
この一言で、今日から月姫の部屋での仕事となってしまうのだ、それは、まだ、気が付かないでいる。真であった。
「猫って温かくて柔らかくて気持ちがいいね」
真は、猫を抱えるまでは良いが、その後の櫛で梳かすのに、自分の血を流す事になるのだ。当然だろう。猫は櫛で梳かされるのが嫌いだし、長い間触られるのも嫌なのだからだ。でも、時々体を触って欲しいと気まぐれな気持ちもあるのだが、それは、まだ、今は気が付いていない。
「痛い、痛い、噛まないでくれよ」
「それは、仕方ないの。適当にしたら止めて、他の猫の毛を梳かすの」
「そうか」
「何匹もしていると、猫の方で遊んで欲しくて近寄って来るから又、梳かしてみてねぇ」
「うんうん、そうしてみるよ」
あっと言う間に三時が過ぎ、おやつと、昼食にしようと言われたが、まだ、二匹しか梳かしていなかった。捕まえようとするから猫は、遊んでくれていると思い逃げ回っていたからだった。
「いいわよ。食事を食べてから又、お願いしても良いかしら?」
「うんうん、いいよ」
「真様、湯浴みの用意が出来ているからどうぞ。猫の毛が付いて気持ち悪いでしょう」
「いいよ。手だけを洗って、服の毛は外で払ってくるよ。もし私の考え過ぎなら良いけど、私の為に無理に、月姫も湯浴みするのなら気にしなくていいからね」
「そう、なら、私も真様と同じようにしますね」
「うんうん、それで、いいよ」
真は、食事が出来るまで少しでも猫の毛を梳かしていた。そして、月姫は、真に一週間前に言われた事を思い出し、中華そばを作り、猫の話題をしながら楽しい昼食を済ました。二人が食べ終わると、真に猫の毛を梳かす事をお願いすると、今度は、猫の食事と猫のトイレの掃除を始めたのだった。真の表情からは疲れと嫌気を感じているように思えたが、真は、何も言わずに続けた。その様子を、笑みを浮かべながら月姫は見ていた。月姫は、手伝う事はしなかったが、猫を撫でて気持ちを穏やかにして手助けをしていたのか、ただ、可愛がっていたのかは判断が出来なかった。真が全ての猫の毛を梳かし終わったのは、夜の七時になっていた。
「大変だったでしょう。手の噛み傷や引っかき傷に薬を塗って上げますわ。手を出してください。少し沁みると思いますが我慢してくださいね」
「ありがとう」
「もう、嫌になったでしょう。お疲れ様ね」
「いいえ、楽しかったよ」
「なら、また、来週もお願いしようかしら」
「うんうん、いいよ」
「それでは、夕飯を食べましょうかぁ。今日は鍋よ」
「おおお、そうかぁ。楽しみですね」
「私は、鍋の用意と猫を部屋に入れてきますから、湯浴みをしてきて下さい」
「うん、そうするよ」
「湯浴みの後は、また、薬を塗ってあげますね」
真は、猫との格闘で疲れたのだろう。月姫に、夕食が出来たと呼ばれるまで湯に使っていた。自分では気が付かなかったが寝ていたのだろう。そして、謝りながら上がってきた。そのような理由があったからだろう。食事が済むと直ぐに横になり寝てしまった。それでも、月姫は、熟睡するはずがないと思い。そのまま寝かせていた。月姫の考えていた通りに起きだし、床で寝るように勧めた。そして、火姫の部屋に向う為のぎりぎりの時間までを起こさないように決めた。勿論、その朝は又、真が起きないように注意をして、朝の猫の御飯を上げて居たのだった。
「真様。火姫様が待っていると思いますよ。遅れると可哀想です。出来たら、私も一緒に、火姫様の所に行きたいので起きてください」
七人の姫達は、出来るなら真一人だけでは部屋に行って欲しくなかったのだ。自分の落ち度が合ったと思われる考えもあるが、他の姫と会えるのはお連れする時だけ、まあ、買い物とかで出会う時もあるが、一日の始まりの挨拶だけでもしたいし、元気なのかと顔が見たいと思う気持ちがあるからだ。
「ああ、もう時間になりましたか、起きますよ。それで、もし出来れば、コーヒーが飲みたいのです。火姫さんの所ではお茶しか飲めないと思いますので、飲ませてくれませんか」
「いいわよ。でも、急いで支度をしてくださいね」
「それは、大丈夫ですよ」
真が、着替えをしている間に、月姫は、コーヒーを作ってくれていた。寛いで飲める時間は無かったが、それでも、気持ちの良い気分を味わう事はできた。
「それでは、行きましょうかぁ」
月姫は、先に扉を開けて、真が部屋から出て来るのを待っていた。そして、案内をするように、先を歩きだした。案内するほど遠くにあるのではない。隣の部屋に行くのだ。まあ、それでも、普通なら隣の家に行く程は離れている。
「火姫様、真様をお連れしました」
「・・・・・・・・・」
月姫が扉を叩き、声を上げるが返事は無かった。それで、仕方がなく。月姫は、真を一人残して帰って行った。規則として他の姫の部屋には入れない事になっていたのだ。
「姫、おはよう」
真は、火姫だけには、姫と言っていた。ひひめ。と言い辛いのもあるが、火姫の性格にも理由がある。それは、極端の人見知りなのだ。それと、火姫の部屋の様子を見たら分かるだろう。
「真様。お待ちしておりました。中にお入り下さい」
扉を開けて中を見れば、大抵の人は驚くだろう。部屋の四隅には本棚が置かれている。と言うか本棚しかないのだった。その中心には、小さい卓袱台と部屋の様子から考えて見れば、不釣合いな本格的な茶道の道具が置かれていた。それと、座布団が二つ、それだけだった。
「ありがとう」
真は、会釈すると中に入り座布団に座った。
「まず、白湯を飲んで待っていてください。飲み終わる前には、朝食を用意します」
真には、その後に何が出てきて、何をするか何年も同じだった為に分かる。それでも、楽しそうに待っていた。
「今日のフリカケは山葵の味がするのですよ」
と、茶碗に、ご飯を装うと、フリカケをかけて手渡した。
「ありがとう」
そして、火姫は、本格的の茶道のようにお茶を立て、茶碗に注いだ。
「頂きましょう」
自分も同じ物を用意していたので、お茶を注ぐと食べ始めた。
「美味しいでしょう?」
「そうだね。美味しいね」
真は、余ほど空腹だったのだろう。一気に食べるとお替りをお願いした。二杯目を食べ終わる頃、火姫も食べ終え、そして、又、お茶を立て始めたのだ。
「どうぞ」
「ありがとう」
真と火姫は、無言で同じように五度もお茶を飲み。六度目のお茶を立てようとした時だ。真は、無言に堪えられなくなり言葉を掛けた。
「姫さん。今日は何の本を読むのかなぁ。楽しみです」
火姫が満面の笑みを浮かべると、本棚から本を取りだすと声を上げて読み始めた。それは、本当嬉しそうだ。面白い物語を伝えたいからでは無いだろう。真と同じ趣味と思い。そして、真と二人だけの会話が出来るからに違いない。まあ、真も今読んでいる本だけを読んでくれて、その感想などの会話から二人が頬を赤める会話に発展してくれたら嬉しいだろうが、それは無理だった。火姫は、一冊が読み終わると感想の話しになり。また、そして、また、と深夜まで本を読み続けた。途中で休憩したが、それは食事を食べる二度だけだ。三時と、八時だった。その食事もお茶漬けだ。時間を無駄にしたくないからなのか、その判断は分からないが、美味しそうに食べる。そんな、火姫の表情を見ると好物なのかもしれない。流石に次の日を過ぎた時間になると疲れたのか、湯浴みの用意をすると言って立ち上がった。
「姫さんは、本当に本が好きなんだなぁ」
と、真が呟くが、このような状態では好きと言う言葉で表す事は出来ないだろう。そして、
「真様。湯浴みの用意が出来ました」
火姫は、大声を上げるが少し恥ずかしそうな声色だった。
「ありがとう」
と、返事を返し、火姫の声がする風呂場に向った。
「真様が好きな湯加減の四十度に合わせました。もし、調整して欲しい時は言ってくださいね。ああ、それと背中は流しますので、その時は教えてくださいね」
火姫は、水着姿で恥ずかしそうに話をかけた。
「ありがとう。でも、いいよ。身体くらい一人でも洗えるからね」
「でも、一族の補佐役であり、真様の私生活を取り仕切る侍従長に、私が叱られます」
「大丈夫だと思うよ。まあ、義理の父みたいな人だしね」
「でも、でも」
「姫さんが、そうしたいならお願いしようかなぁ」
「それでは、背中を洗わして頂きます」
真は、自分の背中に気持ちを集中していた。そして、正面の鏡から火姫が真剣に洗ってくれる姿を見ていた。時々、「痒い所はありませんか?」と話をかけてくる。「無いです」と返事を返す。本当に無かったのだ。丁寧で、全ての場所を綺麗に洗う。その心底からの気持ちが伝わってくるのだ。
「ありがとう。後は、自分で洗うからいいよ。姫が入る準備でもしてきなさい。その頃には風呂から上がっていると思うからね」
「はい、着替えとタオルの用意をしてきます。真様の着替えは二種類の服を用意してありますので好きな物を着て下さい」
二種類と驚くだろうが、帰りの服装と寝巻きだった。泊まって行くか帰るか、真が決めて欲しいからだった。
「ありがとう」
と、湯船から答えるが、帰る気持ちが無い。皆は、月の主と思っているだろうが、自分だけが別の一族の者だ。分かり安く言うのなら婿養子に来たと思ってくれれば分かってくれるだろう。真が風呂場から出ると入り口の前で、火姫が着替えを持って待っていた。
「上がったよ。なら寝るね。おやすみ」
「はい、お休みなさいませ・・・・・・・・」
火姫は、決められた言葉だけの会話のようだ。その後は、真が寝室に入るまで見続け、それから、風呂場に入った。そして、出る頃には、真は寝ているだろう。まあ、熟睡しているか分からないが、火姫も、真の寝室に入るはずもなく自分の床に入った。
「真様。おはよう御座います。支度の用意が出来ました」
火姫は、小声で伝えるが起きてくれなくて、真のオデコを軽く叩いた。
「ん、あっおはよう」
火姫は、朝六時に真を起こしに来た。
「八時まで、水姫の所に向わなくてはなりません」
「そうだったね」
「真様、早く着替えましょう」
火姫は丁寧なのだが遅い。でも、自分で着替えると言えずに任せていた。着替えが終わると、湯浴みの用意がしてあると言われたが断り、洗面だけで良いと伝えた。
「それでは、朝食の用意をしてきます」
「いいよ。直ぐに行くね」
直ぐに向ったのだが、また、正座で無言のまま、長い時間を待つ事になるのだった。確かに、茶碗にご飯が装ってあるが、それだけだ。火姫は、真剣に茶の用意をしていた。
「今日の朝食は鮭の茶漬けにしましたよ。鮭の場合はお茶をかけた後に振り掛けるのが美味しいのですよ。楽しみしていてね」
そう言うと、嬉しそうに茶碗にお茶を注ぎ入れた。
「そうなんだ」
「鮭の旨味がお茶に溶けてしまうのです」
「ほうほう」
まあ、3食もお茶漬けを食べる。と言うか毎週火曜日はお茶漬けの日だった。
「うんうん。味が違うかも美味しいよ」
「・・・・・・・・」
また、無言で見詰められた。食べているから無言と言うのではないだろう。予定外の返事だった為に、何て言うか考えているのだろう。恐らく、火姫は味が違うのは当然で「美味しい」その一言か、好意を感じる言葉でも聞ける。そう感じているようだった。そして、また、水姫の部屋に向う時間まで、無言でお茶を飲み続ける事になるのだった。
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