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第十五章、そして、結婚式、当日
「あら、私と出かける時はお洒落しないの。今まで出かける時は毎日お洒落していたでしょう。もう私は逃げないから捕まえようとしないのかしら」
「いや、違う。考え過ぎだよ。これから式だよ。向うでいろいろしてくれるだろう。それで今、髪型や服装を選んでも、向うで又着替えるのに無駄だよ。愛しているよ。チュ」
「何かあった。前は、愛しているって、簡単に言わなかったわ。それに、人前で、キスなんて、恥ずかしくてしなかったわよ」
「人前って、私の親の前だよ。江見の親の前では恐くて出来ないよ。でも、江見から言ったのでしょう。家の中なら出きるはず、何度も言ったの、江見だろう」
「そうだけど、でも、何故か、いい気分しないわ」
「早く行こう、時間なのだろう」
薫と薫の両親はまだ気が付いてない。恐らく、自宅の周囲は生活に支障ないように決まっているのだろう。前日までは、暖簾や看板だったのだが、今日は当日だからだろう。人が信じられないほど集まっている。まるで祭りだ。道路の脇に隙間なく立ち、その前を警備のような武人、それも、礼装のようなきらびやかだ。後ろの人々は手を振り、叫び、興奮を表しているが、人々を見ても演技には見えない。
「お乗り下さい」
 勲章のような者を多くつけた武人、隊長格だろう。その人物が馬車の前で呟く。人々との境が無いのだが、境があるように人々がいない。その所に、馬車が置いてあった。
「はい」
 薫と両親は驚き頷くだけだった。
「ご苦労様、ありがとうねえ」
 生まれ育った所だろう。江見も、両親もタクシーに乗るような態度だ。
 馬が鳴き声を上げると走り出した。そして、江見も両親も楽しそうに手を振る、その脇で、顔を引き攣りながら、薫と、薫の両親も、ぎこちなく手を振っていた。五分、十分と手を振り続く、だか、人々の数は増え、叫び声も大きくなる。馬車からは見えないが、他の馬車も合流したのだ。やや離れた所を一緒に式場に向かっていた。このような大袈裟な、いや、人違いをされているような騒ぎと感じて、薫と両親は、ちらちらと、江見と両親に視線を向けるが、向けられた方は、薫達の事を忘れているように手を振り、声を上げていた。薫達の気持ちが分かったのだろうか、段々と、騒ぎ声も低くなり、見物人より武人が多くなって来た。そして、突然に馬車が止まった。すると、江見と家族は窓をしめ、真剣な顔を作り、衣服を整え、深呼吸をしたのち、何かを待つように椅子に腰掛けた。
「トントン」
「新婦様、新郎様、私の後に着いてきて下さい。これから、お召し替え致します」
 先ほどの隊長格の人物が扉を叩き、待っていた。
「はい」
 薫は意味が分からず、江見に視線を向け続け、江見が答えると、それに従った。
 三人は、馬車が止まった所の左右に大きな建物があり。大きさは三階建ての建物くらいあり、円筒形の櫓の様な作りだった。そして、左の建物に向かった。
「分かっていると思いますが、今日は両竜王様が祝いに来られております。その為に白以外のお召しは禁止になっております。女性の場合は、この建物の中にある物から選んで頂きます。男性も隣の建物の中から選んで頂くのですが、今日の場合は決められていますので、この建物の中の別室にある物を着て頂きます」
「はい」
 江見はこの世の幸せと思える笑みを浮かべていた。その横で薫が、何処に行けば良いのかと視線を向けているが、もう、薫の事は完全に忘れていた。
「ごっほん、新郎様、どうぞ、こちらへ」
 薫が、連れ合いの顔を見て惚けている。そう感じたのだろう。それで、仕方が無く、薫を正気にさせようとした。そして、薫は、一着しかなくて選ぶ事もない為に、江見を待っていた。その横で、隊長格の人物が、江見に時間が無いと伝えている。
「うわあ、凄いわ。おおこれも、着てみたい」
 江見は、ぎりぎりの時間になっても、着替え室から出てこない。仕方なく、薫に部屋に入ってくれ、そう話をかけようとした時だ。江見は、満面の笑みで現れた。その姿を見て、薫が声を掛けようとしたが、即座に、馬車に入る事を勧められた。
「うん、うん、衣服の乱れはないようですね。そちらの男性が、新しく一族に入られる方ですね。それと、ご両親ですね。あっ、返事はいいです。ただ耳を傾けて頂くだけで良いのです。これから先、声を上げてはなりません。礼をされても、頭を下げなくて構いません。ただ、最後に、証明書をいただく時だけ、頭を下げて下さい。その前に、礼儀と感じて、頭を下げる事の方が失礼ですから、それだけは、守って下さい。良いですね」
 馬車に入り、一分も経たない時だ。又、扉を叩く音が響いた。
「・・・」
「そうです。それでいいのです。無視して下さい」
「・・・・」
「暫く、すると馬車が動きだし、又、扉が開きます。薫様と、江見様だけに、手を差し出されます。その者に従い、歩いて下さい。ご両親は、お子様の後を歩いて頂きます」
「・・・・」
「そうです。お名前を聞かれますが、礼はしないで下さいね。証明書を頂く時だけ、簡単に会釈してくれれば良いですから、お願いしますよ」
 そう、一人で話し終えると、老人は、だが、可なりの身分があるのだろう。今まで見てきたなかでは、勲章の数も、そして、見事な竜の刺繍がしてあった。そして、会釈をすると馬車から消えた。又、馬車は動きだすが、直に門が開き、そして、閉じる音がすると馬車は止まった。すると、又、扉を叩く音がした。
「これから、扉を開けますが、決して、声を上げる事も礼儀を返す事はしないで下さい。良いですね。それでは、これから、ご案内します」
 そして、扉が開けられた。開けると同時に、何の模様も勲章らしき物もない。真っ白の上下の服を着た若者が現れ手を差し出してきた。それと同時に、耳を塞ぎたくなるほどの拍手の音が響いた。どこから見ても身分があるような人々達が立ち並び、手を叩いていた。
「・・・」
 薫と両親は声と同時に頭を下げそうになったが、それを隠そうとしたのだろう。やや、首を上げた。空を見る。そう思わせた。そして、今度は逆に目を見開き、口を開ける所だった。信じられない程の神殿が目に入ったからだった。金銀、宝石があった。そう言う事でなく、大きく、素晴らしい彫刻の模様が彫られている。誰が見ても、この地に入れるのは、限られた者だけ、恐らく二人だけだろう。そう思える所だ。それが一番に感じるのは入り口だ。それは、二匹の竜が口を開き、神殿を絡まっているような彫刻だ。恐らく、女性と男性の入り口だろう。それも、一人だけしか入れない入り口のはずだ。
「ふー」 
 薫と江見と両親は、深呼吸するように息をすった。そして、視線を竜から真ん中の小さい扉に視線を向けた。そこから入ると考え、歩く準備をしたのだろう。
「足元に気をつけてください。ご案内します」
 男性は、薫の手を取り、歩き出し、女性は江見の手を取り歩きだす。その後ろを両親が付いて行く。そして、すぐに、驚きのような顔色を作ったのだった。真ん中に進まず。竜の口に向かう。それも、薫、江見が、それぞれの入り口に手を引かれたからだった。だが、二人の両親は、真ん中の小さい扉の方に向かわされた。
「・・・・・・・」
 そして、拍手はさらに大きくなる。入り口の近くになると、武人でなく役所で働く人なのだろうか、竜の刺繍だけの人が多くなった。そして、三組の結婚する者は中に入った。
「ふわー」
 入り口に入る時、益々、緊張したのだろう。大きく息を吐き中に入っていた。
 口の中、竜の体内、通路の中は、彫刻が施されていた。恐らく想像だろうが、始祖から代々の歴史が彫られている。それを見る、心のゆとりは無い、ただ、出口の光だけに視線を向けて歩いていた。
「・・・」
 通路の出口に行き着く。そう感じて、心が落ち着いた時だ。
「ここでお待ち下さい」
 それぞれに、分かれた江見と薫は、声を掛けられると、不安な気持ちで待っていた。
「仮扱いの四竜族の江見、新郎の薫、中に入りなさい」
 数分後、大きい声で呼ばれた。
「行きますよ」
 真っ白い服の若者に声を掛けられ出口に向かった。
 江見と薫が真っ先に目に入った物は、劇場のような舞台の上に出て、その真ん中に二つの椅子に座る年配の男女だった。はっきりとした年齢は分からないが、自分達の親よりやや年配だろう。そう感じた。その者、二人は薄い水色の上下の衣服で金糸の刺繍の竜が描かれていた。誰が見ても、この地の最高の権力者か、身分が一番高いのだろう。そう感じられた。その二人の前に手を引かれながら歩いて行く。前に付くと、若者は手を離し畏まった。それと同時に、椅子に座る二人が、江見と薫に声を掛けた。
「仮扱いの四竜族の江見、新郎の薫。二人を四竜族の血族に入る事を許す」
「・・・・」
「江見、薫、おめでとう。私の元に来なさい」
「おめでとう」
 二人に祝福を言われ、江見と薫は近寄った。
「これが証明書だ。幸せに暮らしなさい」
「おめでとう」
 二人から、証明書を頂いた。そして、満面の笑みを浮かべながら何度も頭を下げた。恐らく、礼儀は一度で良かったのだろう。そして、普通考えれば、何度か礼儀を返して、元の所に戻るはず。それが、何度も礼を返していた為に、案内をした若者は苦笑いを浮かべながら二人の元に行き、手を引きながら中段の所に行った。二人の両親の元に連れて行き。
「四竜族の江見、新郎薫、退室を許します」
 江見、薫と両親は嬉しくて抱きしめ合った。と、同時に拍手と同時に指示を言われた。今度は、竜からの出口でなく、舞台から降りる階段から降りた。その下には、大勢の人達が拍手で迎えてくれた。恐らく、竜族の直系の一族だろう。四色の竜の刺繍が描かれている。だが、薄い水色の者は居なかった。あの二人は特別の人と感じたはずだ。二人は出口に出るまで拍手が止む事が無く。その後、江見と薫と両親は気が付かなかったが、別の名前が呼ばれていた。例を挙げるなら、同じ様に
「仮扱いのニ竜族の健二、新婦の美沙、中に入りなさい」
 江見と薫と同じく証書を貰う、儀式が進んでいた。だが、出口に出た。といって終わった訳では無かった。又、馬車まで戻るまで、拍手が止む事は無かったからだ。
「お幸せに、おめでとう」
 そう、若者に声を掛けられ、馬車の扉を閉じられた。それでも、声を上げる事はしない。
行きと同じように神殿を出るまで無言が続き、そして、自宅に帰り着いた。
「凄かったわね。まるで、大奥の世継ぎの母にでもなった気分だったわ」
「うん、お母さん、俺も、そう感じて本当に緊張した」
「江見さん、何故、あのように盛大にするのですか」
「え、お父さん。一族に入るのですから、皆で、祝いするのは当然ですよね」
「確かに」
「薫さんのお父さんも、お母さんも、それくらいにして、ゆっくり寛ぎましょう」
 江見の母の言葉で、思い出と今日の出来事を肴で、酒や食べ物や菓子などで会話を楽しんでいた。その中の話題の一つ、薫の兄の話を聞くと、何故か、突然に、江見は、父に勧められて席を立った。そして、父の書斎に入って行った。
「江見に任せるが、薫君のお兄さんを助ける事が出きるぞ。だが、薫が生まれて来るか分からないが、でも、薫は、竜宮城に来たのだ。時間の流れから離れたから、何事も無いはず安心しなさい。そうすると、もし、薫君が、生まれた所に帰っても、両親に会えなくなるだろうがなあ。まあ、必ず、そうなるか分からないが、どうする?」
「う~ん」
「江見、普通の玉手箱は、この地に連れて来る前に記憶を戻す。勿論だが、時間も戻す。それで、薫君は、遠い地で暮らす事になった。そう記憶を入れ替える。どうせ記憶を入れ替え、時間を戻すなら、お兄さんを助けた方が嬉しいだろう。私は、そう思った」
「薫と、薫のお父さんとお母さんに相談する」
「そうか、だが、間違いなく、薫君を取るぞ。それでも、相談するのか?」
「相談したい」
「そうか、私は、薫君の両親に済まないと思っている。会いたくても会えない。その気持ちを考えるなら、始めからやり直した方が喜ぶと思ったのだぞ」
「でも、私一人では決められない、話をしてくる」
 江見は、そう、父に言葉を掛けると、居間に向かった。
「江見さん、涙なんか流してどうしたの?」
「あのう、お母さん、もし、お兄さんが生き返るとしたら、どうします?」
「え、もう、冗談は言わないの」
「それは、本当ですよ」
「おっお父さんも冗談を言わないで下さい」
 そして、娘に言った事と同じ事を話し始めた。
「私は、薫の命と引き換えに、徹を助けたいと思わないわ」
「薫君が死ぬ事はありません。ですが、薫が生まれないか、別の薫が生まれる可能性があります。新しい時の流れになりますから、どうなるか分かりません」
「えっ」
「明日の朝まで答えを決めてくれればいいです」
「え、明日、帰らないと行けないのですか」
「済みません、式の次の日に帰る事が、規則なのです」
「そんな、私達の気持ちが落ち着くまで、居させて下さい」
「その気持ちが分かるから、私の独断で、お兄さんが生き返る玉手箱を用意したのですよ」
「でも、まだ」
「寝室に、玉手箱を用意しておきました。左が、お兄さんと新しい生活、右が、今の記憶が残ります。ですが、少し記憶が変わります。薫君は、元の世界の遠い国で暮らす。そう記憶になりますから、竜宮城の事は記憶に残る事はありません」
「どちらにしても記憶は消されるのですか、酷すぎます」
「必ず消えると言う訳ではないです。可能性が一番高い場合を言いました。それでは、私は用事がありますので、明日の朝までユックリ寛いで下さい」
 威圧的な言葉が部屋に響くと、皆は沈黙した。
「江見さん。私達は明日には帰らないと行けないのですか?」
 その一瞬の沈黙後に、心の底から疑問を感じたのだろう。涙は、心の中の疑問を江見に話しかけた。
「そうです。規則ですから、どうする事も出来ません」
「そうなの」
 涙は悲しそうに俯いた。
「お母様、明日まで、まだ時間がありますから楽しみましょう。そうだ。薫の好きな食べ物の作り方を教えてください。駄目ですか」
 江見は、元気つけようとして、言葉を掛けた。
「でも、言葉だけでは分からないと思うわよ」
「私の母なら分かると思います。分からなければ母から聞きますからお願いします」
「えっ、分かると思うわよ。でも、私が、あなたに教えるの、はっきり言って無理ね。あきらめなさい。薫さんには、私が作りますから、教えてくれませんか?」
「もうー」
 皆が笑い声を上げた。でも、薫の二親は苦笑いだったが、少しは気分が解けたようだ。
 この笑い声から会話が弾み、朝方近くまで電気が消える事は無かった。一人、二人と、その場で寝てしまったが、江見だけは、薫の両親に、自分の料理を美味しい。そう言って欲しくて、寝ずに、何度も朝食を作り直していた。
「お母さん、お父さん、起きてください。食事も出来ましたし、そろそろ時間ですよ」
「え、そう、帰る時間なのね。ありがとう。直ぐ行くわ」
 涙は、どちらの箱にするか決められずに、二つの箱を持って現れた。
 そして、皆で食卓に座り、食事を始めた。
食事はまるで通夜のようだった。そろそろ食べ終わる頃、江見は恐る恐る声を掛けた。
「お母様、お父様、私の父が時の管理人に掛け合って、玉手箱を用意しましたのは憶えていますよね。それで、もう一度言いますね。右が、お兄様が助かる世界。左が竜宮城の記憶は無いですが、今の薫と会える世界です。その玉手箱を開けると、そく世界に戻ります」
「何なの、そんなに、私達を元の世界に帰したいの。私達はねえ、薫と江見さんの幸せな顔を見たいだけなのよ。心は決まっているわ。薫の命を犠牲にしてまで、徹を助けたいと思いません。左で構いません」
 涙は、怒りを表しながら左の箱を開けた。そして、箱から白い煙が吹き出てきた。
「ああっお母様」
 江見の制止の声と同時に、ピキ、時の流れの修復する音が重なった。
 江見が崩れるように倒れる所を、実の父が抱きとめた。
「心配するな、こうなるのは分かっていた。私が右と左を入れ替えてある。徹君は助かるから、江見は、何も心配しなくていいから、いいからなあ。泣かないでくれ」
「でも、でも、お母様、怒っていたわ」
 江見は、煙が消え、二人が消えた事が分かると、父の胸の中で泣き崩れた。
 最下部の十六章をクリックしてください。

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第十四章、再び江見の家
「涙、薫は大丈夫だろうか」
「え、何が」
「父親に気に入られるだろうか」
「何を言っているの、男だからだってね。薫は婿みたいなのよ。嫁を出す父親みたいに、気に入らなければ断る。そう思わせるように堂々としてなさい。始めが肝心なのよ。始めがねえ。お父さん、分かっているの」
「わかった」
 そう答え、(私も婿なのに、そんな雰囲気でなかったぞ)と、心の中で思い。涙に聞こえないように何かを呟いていた。恐らく、その当時の事でも思い出しているのだろう。
「遅いわね」
 涙は、愚痴を零す。だが、一本の煙草を吸い終わる時間も経ってなかった。
「お父さん、お母さん、お待たせしました。どうぞ、入ってください」
 二人は、玄関に入ると、ホッとした。懐かしいような気持ちになった。それは、古き良き時代と言うべきか、親しみを感じたのだった。昭和のやや終わり頃に思えた。黒電話が置かれ、その近くに走り書きのメモや店屋物を頼む時の食事の目録やチラシが壁に貼られていた。まだ、携帯が普及されていない。全ての連絡などは家に帰らなければ分からなかった時代だ。二人は気持ちが落ち着くと自然と家に上がっていたのだった。そのまま、江見の後を付いて居間に入ると、本当に竜宮城なのか、そう感じてしまった。一通り物があったからだ。テレビ、ビデオ、新聞、雑誌など思い付く物は全て置いてあった。でも、一つの驚く物を見つけ、涙が問い掛けていた。
「ここは竜宮城ですよね。何故、ここに、私達の世界のインスタントコーヒーがあるのです。それも、メーカ名も同じですよ。他の調味料も同じですわね。何故です」
「勿論、あなた方の世界から仕入れてきます。環境が全て変わると精神に異常を起こす人も居ますから、江戸時代風や未来風もあります」
「そうなのですか」
「薫さんは、私と同じような時代から来たのですね。今、ご両親の話を聞くと、そう感じられました。安心して下さい。仕入れ担当の部署に就けば定期的に会えますし、勿論、手紙なども届きます。まあ、薫さんが断らなければ仕入れ担当の部署に就きますよ」
「そうですか、ありがとう御座います」
「いいえ、それでは何か、飲みましょう。コーヒーにしますか」
「はい」
「それでは、豆もありますから挽きましょう」
「すみません」
「いいえ」
 カリカリと豆を挽く音を、暫く聞いていたが、問い掛ける事を思い出したのだろう。
「結婚式はするのでしょう。出席は、私達だけですか、知人とか呼べないのでしょうか」
「無理をすれば呼べなくないですが、出来れば控えて欲しいです。ですが、質素な式ではないですよ。竜宮城を上げての祝いです。それに、今回は三組以上の結婚式がありますので、竜宮城の象徴でもある。王室の全ての方がお祝いに来てくれます」
「ほう」
 驚きの為に言葉を無くしていたが、息子の青白い顔を見て、自分が問い掛けなくてはいけない。そう感じたからだ。
「それでは、どちらが主役か分からないわね」
「それは、私も涙さんと同じ世界から来た者ですから心得ています。安心して下さい。竜宮城に住む事は王の類縁になると言う事ですから、それに、結婚式をする者が三組以下だと、永住証明書を渡す者は王ではなく、王室の類縁の誰かになります」
「ほう、神父見たいな事をするのかな」
 一人事のように呟いた。
「おお、そのような感じです。今回は、本当に名誉な事なのですよ」
「そうですね。この地での一番に偉い人が祝ってくれるのですから有りがたい事ですわ」
「そうですよ。それで、結婚式は十日後です。その間は、この家に泊まり、竜宮城を楽しんで下さい。まあ、今、言わなくても分かるでしょうが、買い物などする時は、薫さんの名前を出すか、私の娘の名前を出して下さい。それで、済みますから」
「ありがとう。そうします」
「あっ出来れば、明日からにして下さいね。
明日には隅々に、薫さんと、江見の結婚式の事が伝わります」
「はい、分かりましたわ。勿論、お父さんもいいわよね」
 涙は、隣に座る連れ合いに声を掛けたが、何故か、夢中で新聞を見ていた。
「ん、何か言ったか、見てみろ。面白そうな映画をやっているぞ」
「はっあー。そうね。楽しみね」
 涙は大きな溜息を吐いた。今まで話をしていた事は全て聞いて無かったからだ。
「うん、どのような映画なのだろうな」
「父さん」
「何だ」
「はっあー、何でもない」
 薫は、父の姿を見て呆れ返った。
「お父さん、私の父も映画は好きで、可なりの数が家にあるはず、観てみますか」
「まあ、竜宮城で作られた物ですから面白いか分かりませんよ」
「おお、それはいいですね」
 この言葉で七人は、自分の趣味から子供の育つまでの思い出などを交互に話しを始めた。七人もの思い出だからだろう。思い出を話す事で一日が終わっていた。
 二日目の朝、怒鳴り声と悲鳴のような声が響いた。
「母さん、何をするの」
 窓を開け、布団をめくり、娘を起こした。
「当たり前でしょう。薫さんの、ご両親が居る時くらいは全て自分でやりなさい。何も心配がありませんから任せてください。そう行動を見せて分かっていただくのよ」
「何で、こんなに朝早くよ」
「あなたが、何も出来ないのを知っているから、その為に早く起こしてあげたのよ」
「何を騒いでいる。お客さんが居るのだぞ」
「お父さん」
 二人の女性の声が重なった。
「理由は聞かない。二人の声で、もう起きて来るぞ。朝食の用意は出来ているのか?」
「はい、今から」
「その事で」
 二人の女性は、何かを言いたいのを我慢しているように言葉を飲み込んだ。
「済みませんね。私も何か手伝いますわ」
「あっ、お母さん」
「起こしてしまったようですね。すみません」
 娘の声で驚いたと感じて、父は何度も何度も頭を下げていた。
「構わないで下さい。息子さんを任せる事が出来るか、厳しい目で判断して下さい」
「分かりました。そうさせて頂きます」
「そうだ。朝食の後、息子さんと竜宮城を見学してみてはどうですか」
「見学はしようと考えてしました。ですが、連れて行っても、息子も分からないはずですから意味がないでしょう。二人で楽しく歩く事にします」
「そうですか」
「江見さん、朝食も楽しみにしていますからね」
「はい、頑張ります」
 薫と両親は、台所に近寄らなかった。いや、近寄れなかったのだ。盛大な親子の言い争いが聞こえてきたら普通は入れないだろう。それが聞こえてくると、江見の父は恥ずかしそうに咳の真似や話題を挙げて誤魔化そうとしていた。それでも、朝食を食べる時の江見と母は、偽りの笑みを浮かべていた。それは誰にでも感じる事が出来るはずだ。目が、視線が殺意を感じられたからだ。このような食卓では、食べ物が美味しく喉に通るはずがない。食卓から逃げるように食事を済ませると、薫と両親は家を出た。
「薫、あなたは出て来なくていいのよ。新しい家族でしょう。戻りなさい」
「えっ、あの、お母さん。ねえ、お父さん」
 薫は、玄関から江見と両親の怒鳴り声が聞こえ、恐怖のあまり助けを求めた。
「薫、戻るのよ。分かったわねえ。それでは、お父さん、行きましょう」
「そうだな」
 二親は声を掛けると、振り向きもしないで歩き出した。残された薫は、如何する事も出来ずに、その場で立ち尽くしていた。そして、数分後
「薫さんですか?」
 薫は、女性の優しく、柔らかい声を掛けられ振り向いた。
「えっ、あのう」
 顔から下まで均整のとれた体、この様な人が何故、私を知っているのか、それを考えると言うよりも、呆然と見惚れていた。
「私、江見の友人の明日香と言います。江見に話があったのですが、忙しいみたいね」
「そうですね。今、会ったら命の危険を感じると思います」
「ホホホ、面白い方ですね。薫さんなら、人と違う事を言ってくれるみたい」
「え」
 薫は、何故、笑われたか分からなかった。
「もし、良ければ、私の悩みを聞いてくれませんか?」
「はい、いいですよ」
 明日香は、薫の手を取り歩き出した。
「えっ」
薫は惚けている為に、何を言われたか分かっていないようだ。二人は、住宅街から商店街へと歩き、喫茶店に入った。もし、薫が惚けていなければ驚きの声を上げたはずだ。
「薫さん、何かを飲みましょう。飲みながら、私の話を聞いて欲しいわ」
「そうですね。それでは、同じ物をお願いします」
「それでね。私の、人ね。ああ、お父さん、連れ合いね」
「はい」
「もう、一月も、私の体に触れてもくれないのよ。浮気しているかも知れないわ」
「そうなんですか」
「そう、それでね。浮気の事はあきらめるわ。喧嘩しても仕方ないし、私も浮気すればいいと考えました。ねえ、分かりますよね。私が言いたい事、ねえ」
 明日香は、薫を誘惑するように話を掛け続けた。
 同じ時間、薫を見捨てた。二親は、驚きの声を上げていた。
「おおおお、何なんだぁ。あれは?」
「わああ」
 江見の家の周囲では分からなかったが、数分歩き、通りが変わると、暖簾、旗、看板などで、薫の結婚式と同族になる事の知らせをしていた。それも、信じられないほど目立つ、まるで、芸能人、いや、それ以上の知らせ方だ。でも、薫だけでなく、三組の結婚式の知らせだった為に、少し不満を表していた。それでも息子の名前が出ているのが嬉しくて、又、違った看板があるかも、何処まで続いているのかと、歩き続けた。
「ねえ、お父さん、ここは食堂よね」
「そうだろうな」
「うわあ、薫の名前が付いた物があるわよ。魚料理かしら肉かな、食べてみましょう」
「そうだな、だが、支払いは気にしなくてもいいと言われても、後々の事を考えると」
 涙は、連れ合いの話を聞かずに、店に入ってしまった。このように一軒、一軒見て回るのだ。時間を忘れて、直に一日が終わってしまう。
「そろそろ、日が沈むわ。もう帰らなければ行けないのですね」
「そうだな」
 二人は、一度見た物だからだろう。帰り道は、時間は掛からず家にたどり着いた。
 その、向かう家では滅多に鳴らない電話が鳴っていた。江見だけが理由が分かるのだろうか、どきつい漫才のように料理を作っていたが、突然、手を休め駆け出した。
「江見、言われた通り連れ出したけど、口説く事はしなかったわよ。真面目で、江見だけしか愛さない人みたい、良い人を見つけたわね。でもね。帰り道が分からなかった見たいだから玄関まで連れてきたわ。でも、家に入らないの、何故かしら、後は任せるわね」
 明日香は、電話では爽やかな声で、穏やかな内容だが、喫茶店から出た後は、言葉で駄目なら雰囲気のある場所に連れて回し、何度も何度も誘惑した。それは日が沈むまで続けられ、飽きたからだろう。それで、江見に電話をしたに違いない。
「薫どうしたの。まさか、一日中、ここに居たの?」
「え、なに、ああ、居なかったよ」
(あっ今、話しを思い出すと、明日香って人は、私を誘っていたのか、まっ、まさか)
薫は、惚けたまま立ち尽くしていた。
「あら、お母様、お父様、お帰りなさい」
 江見は、明日香からの電話を切ると、玄関の外に走り出し、薫と家族に会った。
「何か、薫が変なのよ」
「お母さん、私もそう思います。薫、どうしたの、家に入りましょう」
 江見は知っているはず、薫が夢心地のような、熱があるような様子の理由をだぁ。
「さあ、お母さんもお父さんも家に入りましょう」
「そうね。お父さんも行きましょう」
「食事も、間もなく出来ますから待っていてくださいね」
「あら、江見さん、何かあったの、御父さんが、変よ」
 玄関に入る前、涙は庭に視線を向けた。すると、江見の父が、何故か庭に椅子を持ち出し、耳を塞ぎながら座っていた。
「涙、薫を頼む。私は、江見さんの父の様子に想像が付く、少し話をしてみたい」
「そう、分かったわ。お願いね」
 妻の言葉を聞くと、一人で庭に向かった。そして、自分の息子が悩んでいる時のような感じで、後ろから肩を叩いた。
「ん」
「私にも耳を塞ぎたくなる気持ちはわかります。妻が料理を作る様子を見聞きしたくないのでしょう。私も、薫が生まれるまで、同じ気持ちでしたよ」
「あ、貴方も、なのですか」
「あ、済みませんでした。私の事は田中でも、進でも好きな方で言って下さい」
「気を使ってくれてありがとう。私も、田中さんと同じ世界の者です。家の様子を見たら想像が付くと思います。田中さんは、私より未来でしょうか、過去でしょうか?」
「恐らく、未来でしょう。ですが、数十年後くらいと思いますよ」
「そうですか、私の名前は、卓です。この閉鎖された別の空間の為でしょうか、それとも、ここの住人は名前しか使わないからでしょうか、名字は忘れました」
「そうですか、私は変な勘ぐりなど感じていませんから、気にしないで下さい」
「ありがとう」
「卓さん。今日、始めて台所に入ったのですね」
「そうです。妻が、娘と、怒鳴り合うのは何度か聞いた事はありました。だが、台所で、あれほど、豹変するはと驚き、いや、恐怖を感じました」
「そうでしょう。顔、髪、衣服、台所の様々な所に、血や汁などが付いていたはず。それだけでなく、怒鳴りあっているのに、手元も見ずに包丁を扱う姿でしょう。私も、あれを見た時は、心臓が止まる思いでした。私を殺す為の料理か、それとも、人の肉でも料理しているのかとね」
「うわあああ」
「卓さん、思い出したのですね。あの台所の場面を、だが、忘れるしかないのです」
「うっうう」
「私も、代々の家訓を破らなければ見る事が無かったのです」
「家訓とは、男は家事に係わるな。その事ですか」
「そうです。家訓には理由があったのです。夫婦が円満に暮らせる為に必要な事が語り継がれているのだと感じました。私も、あの場面を結婚する前に見ていたら、夢も希望も消えうせて、独身を貫き通したはずです。今、思えば、家訓を破らなければ楽しい夫婦の生活が出来たはずです。私は馬鹿でした」
「そそ、そうですね。あれは戦場でした。私に、家訓を教えて下さい。それを役立てたいのです。娘の為、いや、薫さんの為、二人が楽しい夫婦生活をして欲しいからです」
「そうですか、構いませんよ。まず、第一、男は何があっても台所に入ってはならない」
(薫、婿は大変だぞ。私も婿だから気持ちが心底から分かる。全てを守ってくれないだろうが、台所の関係だけは守ってくれるに違いない。少しは楽が出来るようにしたからな)
 二人は泣き、笑い。そして、真剣に家訓の事を話し、憶えようとしていた。それは、二人の連れ合いが心配して現れるまで続いていた。
 このような日々が二日、四日と過ぎていく、このままだと、十日が過ぎても、息子の為に偽の家訓を伝える考えも、江見が薫を試す事も、薫の両親が竜宮城を全て見て回れない。そう思えるほど、あっと言う間に時間が過ぎてしまった。
 最下部の十五章をクリックしてください。

第十三章、竜宮城へ、結婚式まで十日、そして、薫と薫の両親の時の流れは
「涙姉さん、おはようございます」
 昨朝は始めての家で疲れていたのだろう。今日は鳥の朝の挨拶より早く起きて来たのだが、もう、涙は起きて朝食の用意をしていた。
「おはよう。江見さん、カレー美味しく出来ているわよ。これなら、薫も何も言わないわ」
「よかった。涙姉さんのお蔭です」
「二人が起きて来るのには、まだ、早いわ。紅茶でも飲みましょう」
「はい」
 また、涙から質問攻めを受けた。薫の事が心配なのだろう。少しは、私の事も気に掛けてくれている。そう感じる。でも、ヒョットして、もう会えない。そう感じているのか、それとも、中国の楼蘭って、それほど遠いのか、そう、考えてしまった。
 江見は、気が付いてない。楼蘭は実在しない事。それに、外国で住む。その気持ちも考えも浮かばなかったのだった。それが、分かれば、涙の気持ちも少しは分かっただろう。
 たしかに、一つの国だが、竜宮城は東京都くらいしかない。人口もほぼ同じだ。そして、人口が増える事も減る事もない。旅立つ人と、帰って来る人が同じだからだ。これでは、分かるはずがない。だが、江見は、真剣に耳を傾け、真剣に答えていた。
「母さん、江見さん、おはよう」
「おはよう。薫さん」
「薫おはよう、父さんは?」
「今来るよ」
「そう。紅茶、それとも、コーヒー。何にする」
「父さんは、コーヒーだろう。同じでいいよ」
「おはよう」
 江見が、挨拶すると、父は驚きだろうか、嬉しい。いや、恥ずかしかったのだろう。挨拶を返さなかった。それを隠すように、連れ合いだけには返した。
「父さん、おはよう。コーヒーが出来ているわ」
「ありがとう。あっ、徹にもあげたのか」
「一番先にあげたわ」
「何故、徹兄さんにコーヒーを、ん」
「子供はコーヒーを飲みたがるでしょう。薫も、そうだった」
「え」
 薫は、覚えがない事を言われ、何も言わずに、耳を傾けていた。
「そうだったな、結局は飲めないで、砂糖と牛乳で薄めていたな」
「そうでしょう。だから」
「そうだったのですか」
 江見は、くすくす、と笑ってしまった。
「お腹が空いた。そろそろ食べよう。カレーだろう。もう、出来ているはずだよな」
 薫は口を尖らせ、不満そうに答えた。好きな人に笑われたからだろう。
「そうね。食べましょう」
 そう、涙が答えると、江見と涙が用意を始め、それぞれが、食べ始めた。
「薫、食べ終えたら、直にお参りするのだろう」
「うん、そうしたい。父さん、母さん、いいかな」
「父さんが、いいなら、私も、いいわよ」
「問題はない」
「ああ、でもね。車では行きたくないなあ」
 薫は、慌てて頼んだ。頭の中で一瞬考えが過ぎる。突然消えるはず。車では、そのまま置いとく事は無理だ。そう考えたからだ。
「う~ん、まあ、そうしたいなら、構わない」
 息子の考えに一瞬だが悩んだが、承諾した。
 家族は、早々と朝食を食べると、息子の言う通り、個人所有の自動籠でなく、数人用の乗り合い自動籠で、八木山神社に向かった。そして、到着すると、母が驚きの声を上げた。
「えっ、この神社が、いいの?」
 やはり、母と父も驚きの声を上げた。
 誰でも、始めて来た者は驚く、余りにも小さく、鳥居と社しかないからだ。
「お参りしよう」
「そうねえ」
 鳥居の前で、まず先に、神様が話を聞いて貰えるか、その伺いに、手を重ね、二度お辞儀をした。そして、鳥居を通ると一瞬の内に、この地から四人は消えた。何故、今回は簡単に通れたか、恐らく、行きの確認の門に原因があった。江見と違い。何も問題がない場合は入れば、必ず同じように帰れるのだった。現れた所は、前回と違い、確認の門だった。恐らく、人数が多い為に、一番繋がりが強い所が門なのだろう。江見と薫は驚かなかったが、二親は何が起きたのかと、目を見開き、口まで開けたまま、立ち尽くしていた。
「父さん、母さん、信じられないだろうが、夢でも幻でもない。現実だから、この世界が、江見の生まれ育った所、竜宮城だよ」
 二人が驚くのは無理なかった。都心にいたはず、それが、何故か、草原に自分達が居たからだった。本当に何もない、ただ、門があるだけだ。
「えっ竜宮城って、あの、浦島太郎の、まさかね」
「そう、あの竜宮城だよ」
 薫が話しを掛けるが、父はまだ立ち尽くしていた。
「あの話は現実だったの」
「海の底でなく、時の流れの狭間に浮かんでいたのです」
「ほうう」
「もういいよね。江見さんの家に行こう」
「そっそう、そうね」
 涙は真っ青な顔で答えた。そして、連れ合いを見た。
「もう、父さん、大丈夫。江見さんの家に行くよ」
 そう声を上げながら、涙は、連れ合いの背中を叩いた。
「うわああ、ここは何処だ」
 叩かれたから驚いたのでない。まるで、頭と体の機能が切れていたが、叩かれた事で神経が繋がったかのようだ。それで、全く話が耳に入ってなかった。
「お父さん、落ち着いて、大丈夫だから落ち着いてよ」
 叫び声は大きくなる。もしかしたら演技か、いや、これは、雄の本能かもしれない。危険を感じて、叫び、暴れて、自分に全ての危機を招こうとしているのだろうか、これが獣なら危機を感じて、この場から離れるはず。だが、
「馬鹿、確りして」
 涙は、先ほどから涙を流しながら声を上げていたが、声が届かない。そう感じたからだろう。頬を叩いた。
「えっ」
「ここは、江見さんの生まれ故郷よ」
 薫と江見は、二人の様子を見ている事しか出来なかった。それほど、真剣に、涙は、連れ合いを正気に戻そうとしていたのだ。そして、涙の言葉を聞くと、二人は何度も頷いた。
「ほう」
「広いわねえ。このような所は日本には無いわ」
「そうだな、でも、もし、無理して場所を挙げるとしたらゴルフ場だろうなあ」
「そう、ゴルフ場って、この場所みたいなの、見てみたいわねえ」
「ヒョットして本当にゴルフ場か、それとも、何かの競技の場所かもなあ」
 涙の話を聞いてなかった。
涙は場所のお蔭か、うっとりと話をしていた。それが、自分の話を聞いて無い。それに気が付くと、大きな溜息を吐き、不満そうに口を開いた。
「行きましょう」
 涙の言葉で、薫と江見は頷く。
「もうー、父さん、行くわよ」
 涙は振り向くと、我を忘れている連れ合いに言葉を掛けた。
 江見も、薫と両親も知らないが、ここは神聖な場所だった。門しか残ってないが、初代竜族の墓所だ。それを中心に竜族の墓が在った。まだ、時間の狭間に落ちる前なら文献や口伝などで知る事は出来ただろう。狭間に落ちた時、いや、落とされた時は、生きるか死ぬか、それしか考えられなかった。落とされた理由も、元同族が原因だった。何百年、何千年も経ち同族と考えは薄れていたが同族には違いない。元々宇宙を放浪して、この地球に来た同胞だ。それが十二族に分かれてしまった。家族単位か、思想か、理由は忘れられたが、それでも、命を取り合う程の諍いは無かったのだが、突然に竜族以外の種族が戦を始めた。戦の理由も竜族が中立を守り説得するくらいなのだから些細な事だったのだろう。だが、竜族は謀られたのか、戦の巻き添えか、それとも、正常な判断が出来ないほど血に酔っていたのだろう。十一族の力で、竜族は時の狭間に落とされた。それから、長い時間が経ち、体が環境に順応して、背中に羽が、左手の小指に赤い感覚器官が現れた。もしかすると、祖先には合ったが、長い宇宙の漂流で消えた物が、時の狭間の為に先祖帰りしたのだろうか、それとも、閉鎖された環境の為に進化したのか、それは、判断は出来ないが、背中の羽で時の流れを飛び、赤い感覚器官で連れ合いを探していた。それでも、旅には出るが、生涯の連れ合いを赤い感覚器官の導きを信じる者は全てでは無かった。最後は自分の意志で判断し、導き以外の者を生涯の連れ合いとする者もいた。それでも、必ず、江見のように旅をして、故郷に帰ってくる。そして、又、新しい生活を始めるのだ。
「お母さん、行こう」
 涙の言葉を聞いて、薫と江見も頷き、歩き始める。
「お父さん」
 涙は、知らない地だから恐いのだろうか、それとも、連れ合いと離れ離れになる。そう感じているのだろうか、連れ合いの所に戻り、手を引きながら歩き出した。薫は一度歩いた所だから関心を示さない。だが、両親は、町に入ると、ますます、辺りを窺う。危険を感じているのか、それとも、ただの好奇心だろうか、周りをキョロキョロ見回している。二人は何かを探そうとしているようにも思えた。何度周りを見ても、見に覚えのある町並みだ。もし、日本を探して見れば何処にでもあるような風景だからだ。恐らく、眺め回しているのは、自分の記憶に有る物を探し、日本に居る、そう思いたいのだろう。
「やっぱり、親子ね」
 江見は、そう呟いた。
「江見さん、何か言った」
「いいえ」
 薫は、行きの時は違い。恐怖を感じずに、江見と楽しそうに会話を楽しんでいた。両親も、連れ合いがいるからだろうか、何かを探す為だろうか、疲れは感じていなかった。四人は、それから、数十分くらいだろう。歩くと、江見の家に着いていた。
「お父さん、お母さん、少し、ここで待っていて」
 江見が、二人に声を掛けると、薫の手を引き玄関に入った。
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第十二章、結婚式まで十一日前。薫は両親を連れて行けるか、年一度の出掛ける理由は?
 そして、四人は、朝食を終えると、車に乗り目的の場所に向かった。
「すん、すん」
 涙は、車が目的の場所に近づくにしたがい、目が潤み、泣いているように思えた。
「ねえ、江見さん、国は何処なのかな?」 
 涙が泣く理由を避ける為か、それとも、この場の雰囲気を変えようとしたのか、運転しながら、薫と江見に話を掛けてきた。
「あの、ああ中国とチベットの中間にある国だよ。新楼蘭王国だったはず」
 薫は、思い付く事を並べて、嘘を伝えた。
「えっ」
 江見は、突然の事に戸惑った。
「ねえ、そうだったよね」
「はい、はい、そうです。新楼蘭王国です」
 話しの意味が分かり、その嘘に同意した。
「う~ん、そう、まさか、お姫様」
「いいえ、違いますよ。でも、人口が少ないから血は繋がっているはずです」
「ねえ、お父さん、今日の昼食はなに?」
 涙は、この場の話しに驚きもしないで、自分の思いを口にした。これから行く場所の事だけを考えていた為に、耳に入らなかったのだろう。
「今日は、洋食らしいぞ」
「そう、楽しみしているわね」
 涙の言葉では、自分が楽しいとも、行き先に、誰か居る。そうとも感じ取れた。
「薫も江見さんも楽しみしていてくれ、美味しいぞ。私の友達がホテルの料理長をしているから、毎年、毎年、美味しい弁当を作ってくれるのだぞ」
「本当、楽しみだね。江見さん」
「うん、楽しみです」
 四人が乗る車は、国道四号と言う道を北へ、北へ進み。古川市に入った。そして、あるホテルの駐車場に車を止めた。父親だけが車から降り、そして、数十分後、腰の低い男が父と現れた。恐らく、料理長と思えないから給仕だろうか、父と二人で料理を持ってきた。
「養子でも貰ったのか?」
 後部の荷物入れに料理の袋を入れながら、男は父に話を掛けた。それも小声でだが、驚きを感じる声色だ。でも、車内に聞えないほどの声だった。
「私の息子と息子の嫁になる人だ」
「そうか、何時も二人だから子供が居ない、そう感じていたよ。そうか、なら、今日の主役は喜ぶだろうな。弟に会えて、その嫁さんにも会えるのだからな、良かった。良かった」
「そう思うかな」
「そう思うよ。楽しんで来い。食器などは来年でもいいからな、ゆっくり楽しんで来い」
「うん、そうするよ。ありがとう」
「父さん、今の人が料理長なの?」
 車が発進すると、薫が問い掛けた。
「そうだぞ。本当なら一人一万円近くする料理だからな、それを材料費だけで作ってくれているのだぞ。本当に美味しいからな」
 薫は、人柄で判断して聞いたのだった。人の上に立っているようには見えなかった。まるで、見習いと思えたからだ。
「着いたぞ」
「ん?」
「はい」
 車内に父の声が響いた。ホテルを出て一時間位だろう。薫と江見は、車の中が心地よい温かさで寝ていたのだ。何処か分からないが河原に車が止めてある。車外では涙が料理を並べている。そして、並べ終わったのだろう。何故かカメラを手に持ち、待っているように思えた。二人は寝ぼけて車外を見ていたが、それが薫と江見を待っていると分かると、即座に車から降りた。
「ごめん、お母さん」
「すみません」
「いいわよ。行きましょう」
 そう言うと草むらというか、小さい丘を登っていく。土手からでは判断が出来なかったが、誰が見ても墓地としか思えなかった。江見は好奇心で辺りを見ているが楽しそうだった。薫だけが、不審な表情を表している。祖父や祖母の墓は、この地で無いからだろう。まったく、誰の墓なのか、それとも、他に何か理由があるのかと感じていたからだった。
 そして、ある墓の前に、母と父が立ち止まった。やっぱり墓参りだったのか、そう感情を表していた。でも、誰だろう。そう、表情を変えていた。そして、誰かを聞こうとしたのだろう。その時、
「薫、この墓は、お兄さんよ」
「え」
 薫は、始めて聞かされて驚き、言葉を無くした。
「江見さんも、私の話を聞いて。この墓は、薫の兄の墓なの。事故でね。一才で死んだの。名前は徹、とおるって言うの」
「はい」
 二人は、一言しか言えなかった。そして、父と母の様子を見詰めていた。
「徹、今日の料理は凄いぞ」
「徹、嫌いな物あったら残していいからね。ゲッホ、ごめんね。好きな物も嫌いな物も分からない駄目な、お母さんよね。ゲッホ、ゲッフ」
 本当に目の前にいるかのように、言葉を掛けながら墓の目の前に料理を並べた。涙は昔の事なのに亡くした事を思い出したのだろう。嗚咽を漏らしていた。
「涙、私が写真を撮るから」
「大丈夫、大丈夫だから」
 涙は嗚咽を漏らしたから、少し気持ちが落ち着いたのだろう。写真を撮り始めた。それでも、一枚は失敗したのだろう。ごめんね。そう呟き、もう一枚写真を撮った。
「お父さん、これ」
 涙は、直に写真が見られる物だから選んだのだろうか、それとも、今の新しい物は難しくて使えないのだろうか、それは分からないが、カメラを連れ合いに渡し。写真の写りが浮き出てくるまで、見詰め続けた。
「徹、お父さんとお母さんは、河原でご飯を食べてくるね」
 その写真は、墓石の前に料理が並べてある物だった。確りと写っているのを確認すると、墓石に言葉を掛けた。
「薫、江見さん、待たせたね。車の所に戻って昼食を食べよう」
「はい」
「うん」
 江見は悲しみの為に声が出なく、頷いた。もし、事故なら、私か私達の一族、竜宮城の時を飛び、連れ合いを捜す為の犠牲か、そう感じてしまった。
「ごめんね、江見さん。私達は正気だからね。ただ、薫には言えなかった。死んだと言えなかったの。薫が歳を取るにしたがい、何て、何て言うかを墓の前で相談していたら、このようになってしまったの。確かに分かっているの、変な事だって、でも、私達が変だからって、薫を嫌いにならないでね。お願いね」
 涙は、江見が言葉を無くした。その理由が自分達にある。そう感じたのだろう。薫の事が心配になり、その心の思いを、江見に伝えた。
「いいえ、そのような事は考えていません。一才で亡くなった事が悲しくて、声が出なかったのです。本当に悲しくて、悲しくて、ゴッフ」
 江見は、自分達が原因だ。そう、又、考えてしまい嗚咽を漏らした。
「ごめんなさい。変な事を聞いて、さあ、食事にしましょう」
 涙と江見は、二人で支え合いながら、前を歩く二人の男の後を追った。
 そして、車の所に着くと、徹の話題を口にする事が無く。これから、食べる料理の話題だけで盛り上がった。朝食を軽くしか食べなかった事もあったのだろう。夢中で食べていた。少し空腹が癒されたのだろう。視線を弁当から紙袋に興味が移った。薫が、袋の中に包みがあるのを見つけた。
「なんだろう。お菓子かな」
 そう呟き包みを開けた。その音で、二親は気が付いたが遅かった。もう包みが破られたからだった。江見も気が付き振り返った。それは、写真を入れる物だった。
「お父さん、お母さん。写真を入れて立て掛けよう。毎年しているのでしょう。お兄さんにも見せているのでしょう」
「だって、薫も江見さん、あまり気持ちの良いものではないでしょう。いいわよ。気持ちだけで嬉しいわ。ねえ、お父さん」
「そうだよ。もう、秘密でない。誰にでも言えるし、一年に一度でなくても来られるから」
「気持ち悪くないわ。私のお兄さんですもの。この景色も見せたいしね。会話にも入って欲しい。お兄さんに、私の事も分かって欲しいわ」
「そう、それなら」
 写真を、写真立てに入れ。誰でも視線に入る所で、景色も見られる所に置いた。又、楽しい会話と食事を始めた。今度は、自然と徹の事が出てくる。時間もあっという間に過ぎ。日が沈みかけた頃、
「薫、江見さん、私達、徹の食器を片付けてくるね」
「あ、いいよ。父さんと母さんは休んでいて、俺が片付けてくる」
「薫、高そうなお皿よ。壊したら大変よ。お父さんとお母さんに任せましょう」
「うん、そうだね。ごめん。父さんと母さんに任せる」
 薫は、江見に腕をつねられ、意味を理解した。
「ありがとう。江見さん」
 涙が言葉を返した。
「え、何です。私、不器用だから壊したら大変。御免なさいね。お願いして」
「うん、うん、片付けてくるわ。待っていて」
「涙、行こうか」
「うん」
 二親は、墓のお前に着くと、徹が居るかのように話しながら食器を片付けていた。息子と嫁が居ない為に涙腺もゆるくなったのだろう。それに、息子も嫁も気持ちの優しい。それも嬉しかったに違いない。その間に薫と江見は、自分達が食べたお皿などを片付けて、二親を待っていた。
「ねえ、江見さん、どうやって竜宮城に連れて行く事が出来る。それ専用の機械かなにか持ってきた。それで行けるのかな」
「機械は持って来ていないし。使わないわ。私と薫が心の底から願えば、確認の門が連れて行ってくれるわ。でも、出来れば、古い門か家があれば良いわね」
「そうか、なら適当な神社にしよう。そこを親戚の家とでも言って連れて行こう」
「いいわよ。向うに着く事が出来れば適当な嘘も付けるし、本当の事を言っても良いわ」
「大丈夫よ。帰りは玉手箱を渡して、時間の修正や記憶の修正もしないと駄目だから」
「そうか」
「ごめんね。薫が住んでいる所より文明が進んでいるから、機械など見たら分かる人は分かるらしいの。それを利用されると困る事になるわ」
「そうか」
「うん、でも、竜宮城の事や、もう帰らない事とか、それを話すのは薫に任せるわ」
「分かった。それなら、神社は最後の欠片があった所にしよう。あそこなら一度飛んで竜宮城にも行った事があるからいいだろう」
「そうね。あの神社なら大丈夫よ」
「そうだろう。それで、これからの事を願うとか行って、一緒に願ってもらおう」
「そうねえ、そうしましょう」
「なら時間は明日の昼にしよう」
「なに、何の話をしていたの、明日がなに、何かあるの?」
 薫と江見は話しに夢中になり、二人が帰って来たのに気が付かなかった。それでも、竜宮城の事は聞かれなかった事に胸を撫で下ろした。
「ああ、明日ね。これからの事とか結婚式を無事に挙げられるとか、それで、お参りしたい。そう話しをしていたよ。ねえ、母さん達も一緒にお参りに付き合ってよ。駄目かな」
「そうね、いいわね。ねえ、でも無事に式を挙げるとか、って、物騒な話ね」
「そうだな。まさか、本当にお姫様で命が狙われている。それは無いよな」
「あはぁははは、無い、無い、江見さん、綺麗だろう。結婚式の時に男が現れて、連れられるような気がして、それで、お参りでもしょうかなってね」
「そうか、そうか」
「そうかもね。薫、心の底からお願いしなさいよ」
「もう、母さん。酷いよ」
 父と母は満面の笑みを浮かべた。今はもう、普段の父と母だった。
「そろそろ、出掛けようか」
「そうねえ、お父さん」
 涙は嬉しそうに写真を胸に抱きしめながら答えた。
 途中で寄り道をしなくていいからだろう。高速道路を使って家に向かった。
「薫、お父さん。今日、すき焼きにするから材料買ってきて」
「え、何で、家に着く前に言ってくれれば良いのに」
「嫌なの。疲れているのは分かります。私も疲れているわ。だから、すき焼きにしたいの。お父さんは買ってくるだけでしょう。私達は料理をするのよ。これからね」
「買ってきます」
「薫、薫も一緒に行ってきなさい」
「え、涙姉さん」
「もう、お母さんでいいから行って来なさい」
「はい」
「薫、一番高い肉を買ってこよう」
 涙は、連れ合いが言った言葉は聞こえているはず。だが、表情を変えない、言葉を返す事もしなかった。まるで、使いに出すのは口実に感じられた。車が走り出す音が聞こえると、二人が出かけた。そう感じたのだろう。江見に話しを掛けた。
「江見さん、二つだけ、言っておいた方が良いと思うから伝えるわねぇ」
「はい」
 江見は畏まった。
「一つ目はね。なるべく怒りを溜めて、時々怒りを表したほうがいいわよ。ここって時に使えば、怒りも発散が出来るし、何でも聞いてくれるわ」
「あはは、すみません。そうします」
「いいのよ。さっき見たいにねえ」
「はい」
「二つ目は、薫は料理の事は何も言わないで食べるわ。嫌いな物は無いみたいに、それほど何でも食べるわ。でもね。カレーだけはいろいろ言うのよ」
「そうなのですか」
「そう、だから、カレーの作り方を教えるわ。そうすれば、何も言わないと思うの。それだけが心配だったから、今から作りましょう」
「はい、でも、すき焼き作るのですよね」
「カレーはねえ、一晩は置いた方が美味いの。それに、もし、失敗しても食べなければ良いでしょう。大丈夫よ。私と一緒に作るのだから失敗はしないわ」
「でも、作り終わる前に、薫とお父さん、帰って来るような気がします」
「それは大丈夫よ。高い肉を買う。そう言っていたでしょう。選ぶのに何件も店屋を回るから、可なり時間は掛かるはずよ。お父さんは、そう言う人だからねえ」
「はい、お願いします」
「まず、ジャガイモの皮むいてくれる。私、にんじんを切るから」
「はい」
「料理は出来るのね。ジャガイモの皮をむいた物を見たら分かったわ。ごめんね。試すような事をしてね」
「いいえ、でも、何でも作れる訳ではないですから」
「そう、カレーは作った事はあるの。あっ、水は多めに沸かすからね。もっと入れていいわ。そして、いろいろ切った野菜を入れる。野菜が煮えたら肉を入れます」
「はい」
「今はインスタントのカレーがあるから、それを入れて終わり。私、ここで、蜂蜜を少々いれて、すりおろした林檎を入れるの。後は、ある程度水分が無くなるまで煮込んで終わりよ。何度か作って物足りない。そう感じたら、私がもっと専門的な作り方を教えてあげる。そして、肝心なのが、香辛料が嫌いだから、最後ににんにくを入れて誤魔化すのよ」
「うん、ありがとう。薫、美味しい。そう言ってくれるかな」
「大丈夫よ。今まで作っているところを見ていたけど、問題ないわ」
「涙姉さん、薫とお父さん、遅いわね」
「そろそろ、来るわ」
「あっ」
 家の中に車の排気音が聞こえて来た。
「ねえ、帰って着たでしょう」
「はい、涙姉さん」
 玄関の扉が開く音が響くと同時に、
「お母さん、お母さん、お母さん」
「どうしたの、薫、何か遭ったの、薫」
 薫は、居間に駆け込んできた。
「父さんが、父さんが、百グラム二千円の肉を買ったよ」
「ほう、そう、良かったわね」
 声色では正常を装っているが、眉がピクピクと痙攣している。怒りを感じているはずだ。
「それで、父さんは、何をしているの」
 涙の眉はますます、痙攣した。
「今呼んで来る。父さん、父さん、お母さんは怒ってないよ」
 
「涙、この肉はすき焼きには合う。そう言っていたぞ」
「そうでしょうね。早くもってきて準備するから、まっ、まさか肉だけでないでしょうね」
「大丈夫だ。買って来たよ。今、持ってくる」
「はっあー、疲れる」
「美味しそうな肉だろう」
「そうね。でも、何なの、この山はなんなの」
 涙は頭を抱えた。肉もだが、野菜も四人では食べられないほど買ってきたからだ。
「え、必要な物を揃えたぞ」
「あのねえ。この分量はなんなの、って聞いたのよ」
「ああ、多く買うと安いって言われたからな」
「お母さん、お腹が空いたよ」
 薫は、二人に苦情を伝えた。
「ああ、もういいわ。私が言ったのは冷蔵庫に入れて、他は物置に入れてきて、いいわね」
「はい」
 涙は、バナナの叩き売りのようにテーブルを叩きながら必要のない物を知らせた。
「江見さん、私以上、苦労しそうね。がんばってね。幸せを祈っているわ」
「お母さんからは、そう見えます?」
 二人の女性は、料理の準備をしながら会話をしているが、手元に狂いは無い。涙は当然だが、江見も、やや遅いが、それに付いてきている。料理が好きなのか、小さい頃から親に料理をならったのだろう。その手先を見て、涙は、微笑みを浮かべている。その笑みは、息子を安心して任せられる。そう感じられた。
「一人暮らしをしているのに、分からないのかしらね。何を食べていたのかしら」
「薫から、美味しい紅茶を頂きました」
「そう、なら家で何か作って食べているのね。少し安心したわ」
「う~ん」
 江見には、涙の話しの意味が分からなかった。この世界で部屋を見たのは、薫の部屋と薫の両親の部屋だけだからだ。一人暮らしの部屋は薫の部屋と同じく、部屋の中は本で埋まっている。それが普通と考えていたからだった。
「涙、終わったぞ」
「お母さん、終わったよ。まだ、食べられない」
 二人の声を聞き、涙と江見は手を止めた。
「お茶碗とか出していて、そろそろ、食べられるわ」
「もうー出来たら、先に食べるぞ」
「あの」
 薫は、言葉に詰まった。食欲と江見とどっちを取るか迷った。
「ごめん、江見さん、先に、馬鹿な男を食べさせるわ。このままだと暴れるかも」
「良いですよ。薫も、先に食べていて、良いわよ」
 数分後、全ての野菜を切り終え。四人全てが席に着いた。
「涙姉さん、徹さんが写っている写真を置いたらどうですか、お椀だけでは寂しいですよ」
「はっあー、ありがとう。でも、一才だったの。写真は一枚もないわ」
「ごめんなさい。それなら墓石の写真でもあったほうが寂しくないです」
「ありがとう。江見さんが、そう言ってくれるなら喜んで置かして頂くわ」
「はい、良いですよ」
 写真を置くと、話題は墓参りに戻り、徹の話で盛り上がった。そして、薫の話、江見となり。結婚式の話になった。二人は、竜宮城の話題では、ほとんど、嘘で誤魔化した。
「父さん、お母さん、神社でお参りしたいけど、付き合ってくれる。良ければ、明日、朝食を食べたら行きたいけど駄目かな」
 薫は、話を誘導が出来て、ホッとした。
「私はいいわよ。父さんは大丈夫なの?」
「息子の一大事だ。勿論、休んでお参りするよ」
「ありがとう」
 江見と薫は、同時に喜びの声を上げた。
「お風呂が沸いているわ。さっき点けて来たの、もう入れるわ。勿論、一人、一人入るのよ。分かっているわね」
「お母さん、何を言っているの、当たり前でしょう」
 その言葉を最後に一人、一人と汗と疲れを癒すために風呂に消え、寝室と消えていった。
最後は、涙だけが最後まで残り、徹の写真を見ながら呟いていた。
「やっと家に帰ってこられたわね。これからは何時でも一緒よ。徹、おやすみ」
 涙が、居間から消えると、写真はテーブルに置かれたまま、居間の灯りは消された。
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第十一章、竜宮城
「やっと帰ってきたわ」
 二人が現れた所は竜宮城にある、江見の自宅の前だった。
「ここが、江見の家ですか」
「ここで待っていて」
 江見は、薫の声が耳に入らないようだ。自分の言葉の返事も聞かずに、直ぐに駆け出した。それほど、嬉しいのだろう。
「はい、分かりました」
 江見は、駆け出しながら大声を上げる。
「お父さん、お母さん。私、帰って来たわ。居ないの。私、帰ってきたわよ」
 でも、玄関を叩く事も取手を回す事もなく、裏庭に向かった。
「江見ね。江見よね。あなた、江見よ。江見が帰ってきたわよ」
 裏庭の方から、江見の母だろう。悲鳴のような声が聞こえてきた。心の底からの喜び溢れて涙まで流している。そう思える声だ。
「はっあー」
 薫は、自分も両親に最後の別れをしてくるのだった。そう、思いが込み上げてきた。
「おお帰って来たか。ん、どうした。まさか一人で帰って来たのか?」
「違うわ。玄関で待っているわ」
「会わせられないほど酷い男なのか」
「違うわよ。いい人よ。格好よくて、優しい人。浮気どころか、一生、私だけしか愛せないわね。まあ、それは、歳を取っても変わらないわ。そう思う人なの、だって、凄くウブなの。だから、女性と目も合わせられないのよ。本当に可愛いの」
「そうか、そうか、良かったな。もし、変な男だったら、玉手箱を渡して帰すところだぞ。それも、未来の時間にずらしてなあ」
「あなた、それは昔の事でしょう」
「今でも出来るぞ。わははは」
「それは本当の事だったの。お父さん、気に食わないからって、勝手に帰さないでよ」
「大丈夫だから、早く連れてきなさい」
 薫の居ない所で、薫には聞かされない話をしていた。
「薫、待たせてごめんね。今からお父さんとお母さんを紹介するね」
「うん、楽しみだよ」
「でも、お父さんを怒らせないで、気に入らなければ薫の世界に帰す。そう言ったわ」
 先ほどの父の話が思い出されて、不安を感じたのだろう。小声になり顔も青ざめていた。
「大丈夫だから、大丈夫だから、気に入られるように頑張ります」
「うん、うん。ガンバッテね」
 二人で、江見の父と母が待つ裏庭に向かった。
「お父さん、お母さん。この人が薫よ」
「ほう」
 江見の父は骨董品を鑑定するように薫を鋭い目で見詰めた。
「江見、この家で共に住むのだから家に上がるように勧めなさい。お父さん良いわね」
「そうだな」
 父は気難しそうに答えた。
「お邪魔します」
 そうハッキリとした大きな声を上げて、薫は家に中に入った。そして、江見の父は、
「薫君だったね」
 そう、言葉を掛けると、上から下と見詰め、まるで、値踏みを付けるようだった。
「はい、そうです。お父さん」
「むっ、ご両親には何と言って、竜宮城に来たのだね」
 始めて会った男に、ならなれしい言葉を掛けられて怒りを感じた。
「あっ、その、何を言いませんでした」
 薫はしどろもどろで答えた。
「君は何を考えているのだ」
 薫に掴み掛かるのか、と感じられた。
「お父さん、そんなに大声を上げなくても、ねえ、江見」
「なに、お母さん」
 父を無視するように答えた。
「勿論、薫さんの両親には、ご挨拶したのよね」
「えっ、会ってないわ。だって、会いたくても、直に竜宮城に飛ばされたから」
「なんだぁ~とぉ~」
「あなた、私に任せて」
 江見の父は怒りを表したが、自分の連れ合いに諭され怒りを静めた。
「そうか、おまえが、そう言うなら」
「江見」
「なに、お母さん」
「学校で学ばなかったの。最後に、二人で通る門は、確認の門とも言われているでしょう」
「うん」
「江見は、薫さんと出会い、そして、助けて貰ったはず。今度は、薫さんの為に何かをしなければならないわ。そうでしょう」
「うん、でも、何をするの?」
「さあ、何でしょうね。行ってみたら分かるわ」
 何が起こるか分かっているのだろうか、楽しみ溢れた笑みを浮かべた。
「うん」
「いってらっしゃい。ご両親を連れてくるのよ。私達は準備をして待っているわ」
「うん。お父さん、お母さん、行ってきます。薫、行こう」
「江見、行ってきなさい。薫君、江見を頼みます」
 江見の父は、薫に頭を下げた。
「お父さん。江見さんは、私が確り守ります。安心して下さい」
 父は、頭を下げたが、まだ、父と言われるのに抵抗があるのだろうか、顔を顰めた。
 そして、二人は歩き出す。江見がやや先頭に、薫が後ろから付いて歩く。江見は微笑みを浮かべながら歩くが、薫は不安顔だ。それもそのはずだろう。薫は、江見の家の前に突然に現れたのだ。恐怖を感じるはずだ。まるで、二人は異国に来たおのぼりさんのようだ。江見は、旅立ちから変わってないなあ、とでも考えて町並みを見ているのだろう。その後ろの薫は、顔を痙攣させていた。恐らく、突然に声を掛けられるとでも思っているのだろう。身分証がありますか。とでも、そして、戦時下のスパイのように連行され、拷問でもされる。そんな事を考えているような顔色だ。
「ねえ、江見さん」
「なに、あああ、あれ美味しいのよ。食べてみる」
 江見は、そう言うと買いに行こうとした。でも、財布が無いのを思い出し、又、別の建物に視線を向けた。今、薫の顔を見たら、別な言葉が出たはずだ。大丈夫なのと、それほど、死にそうな顔をしていたのだ。この気持ちがあったからだろう。門を通るのに死に物狂いで、江見の手を放すものか。その事を感じるのは、後、数十分後だった。
「ねえ、江見さん」
 薫が恐怖を感じているが、別に恐がるような人物が歩いている訳でもない。建物も普通の平成の現代を探せば、何処にでも有るような造りだ。それだから余計に、恐ろしい過去などを考えて、不安を感じているとも思える。
「だから、なに?」
 江見は、久しぶりに故郷を見て楽しんでいる所を何度も声を掛けられ、苛立ちを覚えていた。それを気が付かずに、薫がやっと言葉を上げる事ができた。
「ねえ、江見さん、段々と、建物も無くなり寂しい所だね。どこに向かっているの?」
「門よ」
「そうだよね」
「そうよ。どうしたの?」
「ねえ、その門てぇ、通行証とかいるの?」
「要らないわよ」
「そう、良かった。門を通る時って命に係わる事はないよね」
「うん、無いわよ。確かね」
「え、確かなの」
「冗談よ。でも、想像も出来ない。別々の地に着く事くらい有るかもね」
「えっ」
 薫は言葉を無くした。
「薫、あれよ。あれが門よ」
「おっ」 
 薫は、江見が指差した所を見て、綺麗と言うか寂しい所と思えた。それを見ると、自分が住んでいた所で同じ所は、イギリスのストーン・ヘンジだと感じた。
「どうしたの、行くわよ」
「少し、待って下さい。気持ちを落ち着かせる時間を下さい」
「まさか、さっき私が言った事を信じたの。馬鹿ねえ」
「え、嘘」
「そうそう、恐がりなのねえ。手を繋いであげるから行くわよ」
「そうなのかぁ。はい、行きます」
 江見が笑いながら手を差し出して来た。薫は、その手を掴み、門の中に一歩踏み出した時、江見が振り返りながら声を上げた。 
「でもね。何が起きるか分からないから手を離さないでよ」
「えっ、うっおお」
 薫は、門に入ると体が潰されるような感覚を感じた。そして、今度は浮き上がるような感覚を感じる。薫は乗った事もないが、飛行機が急上昇、急降下を繰り返して、目的の場所を探している。そう感じた。普段の薫なら恐れと痛みで手を離していただろうが、竜宮城に来て、知らない町を歩いていた時の不安と恐怖を思い出す。もし、一人で別の地に行き着いた時を考えると、恐ろしくて、恐ろしくて、死ぬ気で手を握り締めていた。
「顔が青いわよ。大丈夫?」
「えっ」
 薫は、いつ地面に着いたか分からなかった。体の機能や感覚では一時間くらいと思えたが、恐らく一分も経ってないだろう。まだ、体の機能が上下に動いたような感覚がある為に思考する事ができない。その為に、江見の言葉の意味を判断する事が出来なかった。
「大丈夫なの?」
「大丈夫だよ」
 言葉の意味だけが判断が出来て、自分が何処にいるか分からない。そのような答え方だ。
「そう、なら手を離してくれる。痛いわ」
「手、うわああ。ごめん、ごめんなさい」
 薫は、江見の手を繋いでいたのが恥ずかしかったのだろうか、それとも、恐怖を感じて、それを紛らわす為に、強く手を握り締めていた事に恥じたのか、慌てて手を離した。
「良いわよ。謝らなくても」
「ねえ。薫の部屋に入らない」
「え、えええぇ」
 やっと統べての事が判断できたようだ。薫は、自分の家の前にいた。一瞬で、今までの事が理解できた。恐らく、上下に動いた感覚は、他世界から、薫の世界に入る為に危険な物や、この世界の人々に不審を感じさせない為の場所や時間を探していたのだろう。
「うん、そうだね。入ろうか」
 薫が、そう言葉を掛けながら家に向い、部屋に入った。
「何か飲む」
「うん、飲む」
「何がいいかな」
「薫と同じ物で良いわ」
「分かった。適当に座っていて」
 薫は部屋に入ると、直に、江見に言葉を掛け、湯を沸かしに行った。
「凄いねえ、江見さん」
「なにが」
 薫は、台所から部屋に入る途中で、時間と日付を確認した。
「神社から消えたでしょう。あれから一時間くらいしか経ってないよ」
「そう」
「驚かないのだね。どう考えても五、六時間は経っているはずだよ」
「それは、そうでしょう。薫は、この世界の住人なのだしね。時間の流れの自動修正で支障が無い時間に入ったのでしょう。時間も生きているのよ。人のように不純物が入れば外に出したり、正気を保てないなら忘れたりするでしょう。それと同じよ」
「ほう」
「そう、でね」
「うん、なに、ちょっと待っていて、湯が沸いたから紅茶を作ってくる」
 その間、江見は、薫を見詰めていた。
「どうぞ」
 紅茶を手渡し、自分も座った。
「薫の両親は何処にいるの?」
「近くにいるよ。でも、歩いたら可なりあるけどね」
「そう」
 江見は、何が不安なのか声が微かに震えているようだった。
「直ぐ行く?」
 その様子を見て、薫は、江見に聞いた。
「出来れば、そうしたいわ」
 満面の笑みを浮かべていた。
「紅茶を飲み終わったら行こうか」
「そうね。そうしましょう」
 二人は数分の間だが無言で紅茶を楽しんだ。
「行きましょうか、江見さん」
「はい」
「あっ、先に言わないと行けない事があります」
「何ですのぉ」
「私の母の事です。絶対に母と言わないでください。それだけは守って下さい」
「何て、お呼びすれば良いのですか?」
「お姉さん、とでも」
「薫は何て呼んでいるの」
「涙姉さんです」
「ほう、はい、分かりました。私も涙お姉さんと呼びます」
 一瞬、思案しだが、江見は同意した。
「ほっ、安心しました。それでは、江見さん行きましょう」
「はい」
 江見は余りにも嬉しくて、そして、恥ずかしくて、やっと声を出しているようだ。
 さっさと薫は玄関から出ると、何故、出て来ないのかと首を傾げていた。
「ごめんなさい。今行きます」
 江見としては、一つだけを約束してくれ、そう言われ承諾したのだから、普通の人なら喜びの余りに口付けくらいすると思ったのだろう。それなのに、薫は不審そうに見つめているだけだ。仕方がなく、微かな溜息を吐きながら玄関から出てきた。
「江見さん、大丈夫、転びそうだったよ」
 江見は、薫の態度やご両親に会う。そう思うと心が動揺して足が縺れてしまった。
「大丈夫よ」
「良かった。私の家に行くから後に着いて来て、逸れたら大変だからね」
「はい」
 声色からは喜びを感じる声だが、薫の背中に向けて口を尖らせて不満を表した。
(心配なのでしょう。なら何で手を繋いでくれないの?)
「ああ、そうだ。お金を渡していたでしょう。それを使うからね。私が払うより自分で払って見たいでしょう。私が出したのと同じのを出してね。たしか、この硬貨二枚だからね」
 薫は突然振り返った。体の機能では何かを感じたのだろう。だか、思考では家に着いた時の事、着くまでの事を考えていた為に、体の機能、感情までは届かなかった。
「はい、それと同じのね」
 不満を隠す為に慌てて硬貨を探した。
「そうそう、それそれ」
 同じ硬貨を見ると頷いた。
「何に使うの、又、自動籠に乗るの、それにしては違うわね。前は紙を出したわ」
「ああ、あれとは違うのを乗ります。前は数人用だけど、今度は大勢が乗るのです」
「そう、楽しみですわねえ」
 二人は話しをしながら近くのバス停まで向い、たどり着いた。そして暫く、その場で待つ事になった。江見は、薫が無言だったから不審、いや不満を感じて言葉を掛けた。
「あのねえ、薫。立ち止まって何をしているの?」
「ん、此処で待っているのはね」
「キャアー」
 薫が突然に顔を近づけたので驚きの声を上げた。
「ごめん、あのねえ。自動籠を待っているのです」
 薫は、自動籠と言いたく無いからだろう。江見の耳元で囁いた」
「そうなのね。うんうん、楽しみにしています」
 悲鳴を上げた事を隠す為でないが、本当に楽しそうに車が来る度に、薫に視線を向ける。そして、薫は、まるで、猫や子供の無邪気な仕草を見て楽しんでいるかのように、何度も何度も首を振って答えていた。
「江見さん、来たよ」
「えっ、何が」
 江見は、意味が分からないと言うよりも、自分が乗るとは想像もしてなかった。その不細工な乗り物を無視していた為だった。
「あれに乗るよ」 
「あれなの。そうなの、分かりましたわ」
 江見はがっかりした。
 バスが着き、扉が開くと、江見が乗ろうとしたが手を掴み引き止めた。江見は不審を感じたが、薫の頷きを見ると頷き返し最後まで待った。恐らく、自分の仕草を見せる為だろう。不思議そうに仕草を見詰め、回数券を取り。同じように手すりに?まった。
「薫、開いたわ」
 バス停に着く度に扉が開く、そして、薫に視線を向ける。江見も何度目か忘れて外を見ていた時だ。突然に肩を叩かれ、薫の後を追った。
「面白いわね」
「良かった。でも疲れなかった」
「いいえ、楽しくて忘れていたわ。ん、又乗るの」
「そうだよ。もう一度乗ったら着くから」
「そう、面白いから良いわよ。えへへ」
「良かった」
 先ほどと同じ様に待ち、そして、バスに乗った。
「降りるよ」
「はい」
 バス停の名前は中田一丁目と書いてあった。そして、降りると直に薫が話しを掛けた。
「此処から少し歩くから、付いて来て」
「はい。ねえ、聞きたいことがあるの、いいかな」
「いいよ、なに」
「薫、この世界は、親の事をお姉さんって言うの?」
 二人は歩きながら話しを始めた。この理由は後で分かることになる。薫も驚くのだった。
「違うよ」
「そうなの、なら何でなのぉ?」
「それはね。幼い頃に怒られた事があってねぇ。でも、それから、今まで一度も怒られた事も大声を上げられた事もないよ。でも、今でも怖いからお姉さんって言い続けている」
「そう」
「でも、恐くないよ。優しいよ」
「それは、薫も優しいから、同じ様に優しい人と思えるわ」
「でも、父は恐いよ。よく怒られた。今でも怒られるけどね」
「私の父もそうよぉ。会ったから分かるでしょう」
「そっ、そうだね。でも、いいお父さんと思うよ」
「ありがとう。本心と思うわね」
「嘘でないよ」
 薫は、嘘を隠すように大声を上げていた。
「分かっているわ」
「うん、ごめん」
「もう、いいから、怒って無いわ。そろそろ着くのでしょう。変な所を見られたくないわ」
「うん、そこ曲がったら直だよ」
「え、もう、着く前に教えてよ。心を落ち着かせる時間が欲しいわ」
「そんな事を言われても、時間を潰せるような店なんかないよ」
 薫は困り果て泣き声を上げた。
「ごめんなさい。いいわ、行きましょう」
「うん」
「でも、薫、連絡とかしたの、家に居れば良いけど、この世界の人は忙しいのでしょう」
「大丈夫、猫が心配で何時も家にいるよ」
「本当、見てみたいわ。名前は何ていうの?」
「シロ」
「そう、シロちゃんって言うの、見てみたいわ。可愛いのでしょうね」
「うん。ああああ、忘れていた」
 一瞬だが、何かを思い出して我を忘れた。
「なになに、どうしたの?」
「年に一度だけ、理由は分からないけど必ず出かける日があるのを思い出した。急ごう、もし、今日だったら大変だ。私達の今の状態では日付なんて当てに出来ない」
「そうよね。急ぎましょう」
 二人は駆け出した。と言っても一分も走らずに家に着いた。
「ここなの?」
 そう、江見は問い掛けた。薫が居た部屋と同じような造りだ。少しは規模が大きいように思えるが、同じ共同住宅だったからだ。別に豪邸を期待していた訳ではない。
ただ、江見の考えでは、いえ、竜宮城では家族が離れて暮らす事はない。そして、家の規模は大小あるが、家と家が繋がった物など無かったからだった。
「薫、薫なの、珍しい事もあるわね。どうしたの?」
 薫が、自動ドアの暗証番号を打つ時だ。母が自動ドアから出てきた。
「涙姉さん。あっ、その、会わせたい人がいるから、それで、」
「うふふ、そう、そこに居る。女の子ね」
 息子の話しを聞くと、突然に笑みを浮かべた。何故か、魔女が良からない事でも考えているような笑みだった。
「うん、そうだけど」
(姉さん。何かあったのかな、何か怖いよ)
「早く、部屋に入りましょう」
「涙姉さん、だって、出掛けるのでしょう」
「いいわよ。暇だから散歩しようと思っただけ」
「あっのう、私」
 江見は、自分の事を話そうとした。
「立ち話ではなくて、部屋でゆっくり話しましょう」
「はい、涙お姉さん。そうさせて頂きます」
 江見は、非の打ち所がない、礼儀を返した。
「まあ、まあ、いい人ね。薫」
 礼儀よりもお姉さん、そう言われたからだろう。破顔して喜んだ。
「うん、そうでしょう。そうでしょう」
 三人は、箱型の昇降機に乗り、部屋に向い、玄関を開けた。誰も居ないはずだが、出迎えの声が聞こえた。
「にゃ、にゃ、にゃ」 
 恐らく、寂しかったよ。何所に行っていたの、置いていかないでよ。そう言っているはず。意味が分からなくても、そう思えた。シロは一人になったから、悲しくて鳴いたのだろう。余りにも鳴き疲れて、やっと声を上げているような掠れた声、本当に悲しみが伝わってくる鳴き声だった。
「ごめんねえ。ごめんねえ。寝ていたから煩いと思ったから出掛けたのよ」
 そう言葉を掛けながら抱き上げた。
「うわあ、可愛い」
「シロ、元気だったか」
 江見と薫は、シロの鳴き声が、ころころ変わるのを楽しみながら何度も撫でた。
「玄関で立ってないで、どうぞ、中に入って下さい」
 そう呟くと猫を下に下ろした。嬉しそうに猫は居間に向かう。三人は、子猫が親を追うように家の中に入っていった。
「今、飲み物を淹れるわねえ。何が好きなの?」
 紹介されるのが待ちきれず、興奮を表していた。
「涙姉さん。父さんが帰ってから言うつもりだったけど、彼女は江見さんと言います」
「そう江見さんと言うの、名字は何て言うのです」
「それは、宗教上の事で名字は無いのです。勿論、日本人でもないよ」
「そうなの。ねえ、それで何を飲む。薫はいつもの紅茶でしょう。江見さんは何する」
「そうだ、江見さん。コーヒーにしてみたら、涙姉さんが淹れるコーヒーは美味いよ」
「はい、そうします」
「そう、美味しいわよ。待っていてね」
 薫は、二人だと恥ずかしいのか、間を持たせようとしたのか、新聞に手を伸ばした。
「やはり、明日だ」
 新聞を手に取ると、即座に声を上げた。日付の欄だけを見たのだろう。
「え、どうしたの?」
「さっき話した事です。一年に一度だけ二人で出掛けるって」
「うん」
 シロは、出掛ける。その言葉の意味が分かったのだろう。又、置いて行かれる。そう感じて、鳴き声を上げながら膝に上がってきた。
「お、シロ、いい子だな、いい子だな」
 新聞を下に置き、何度も何度も頭を撫でた。
「うわあ、可愛いわ。ごろごろ言っている」
 二人が猫と遊んでいると、涙の言葉が響いた。
「お待ち、うわあ、良かったわね。シロちゃん、遊んでもらっていたの」
「にゃ」
 そうだよ。と、でも言ったのだろう。それが、可愛くて、又、何度も撫でられていた。
「薫、テーブルの上を片付けて、置くから」
「はい、私が」
 薫は猫に夢中だったからだろう。江見が、それに答えた。
「はい、良いです。置けますよ」
「ありがとう、江見さん」
「いいえ、涙姉さん」
「ねえ、二人で何の話をしていたの?」
 そう、声を掛けながら、薫には紅茶を、江見と自分にはコーヒーを手渡した。
「涙姉さん、明日は出掛けるのでしょう」
「そうね」
 涙は、悲しみの表情を浮かべた。何か隠し事があるのだろう。それが、言えない為の苦しみと思えた。それでも、声色からは微かだが、喜びを感じられた。涙は、毎年出掛けるのだから楽しい事なのだろう。
「それで、父さん。今日は、帰りは遅いかな」
「何で?」
「父さんと涙姉さんに話しがあって、今日、父さんが遅ければ、明日も話しが出来ないだろう。それで、何時頃に帰ってくるのか、知りたくて」
「そう、話しがあるの。そうねえ。なら、江見さんと薫も、明日は一緒に出掛けましょう」
「えっ、今まで、必ず二人で出掛けていたのに、なんで、父さんに聞かなくて大丈夫なの?」
「そんな事、聞かなくてもいいわよ。まさか、行けないなんて言わないわよね」
「涙姉さん、行きますわ。行きます。楽しそうです」
「勿論、行くよ。何だろう。楽しみだなぁ」
「そう、ありがとう」
 二人が義理で言っている。そう分かるはずなのだが、何故か、涙を流していた。
「どうしたの、涙姉さん」
「何でも無いわよ。薫が始めて女の人を連れて来たから嬉しいのよ。もう、馬鹿」
 涙を拭きながら笑みを作ろうとしていた。
「そうなのですか、始めて、そう、そう」
 江見は、生まれてから、これほどの驚きは始めてだった。
「江見さん、そんなに驚かなくても大丈夫ですよ。病気とか変な趣味はないからね」
「そう、そうなのですか、あっ、別に、そのような事は考えていません」
 言葉と違い。驚き、ホットしていた。
「涙姉さん。夕飯を食べて行きたいけど、いいかな」
 二人から話しを逸らそうとした。
「珍しいわね。彼女が出来ると、やっぱり変わるのね。いいわよ。でも、薫の嫌いな辛口のカレーよ。それでも良いの」
「薫、辛い食べ物は嫌いなの」
「そうでないよ。カレーの辛さだけはあまり好きでないだけだよ」
 薫は大きな溜息を吐いた。そして、心の中で父が早く帰るのを願った。
自分から話題を逸らそうとしたのだろう。だが、それは無理のはずだ。二人の問題だが、今、話題の中心は薫だからだ。江見は助けを求めるように視線を向け。もう一人、涙は好奇心と悲しみを感じる視線を向けているからだ。
「お腹が空いたでしょう。父さんが来る前に食べる?」
 薫は、涙と江見を交互に視線を向け、言葉に困っていた。
「私も、お腹が空いたから食べようかな」
「うん、食べる。江見さんも食べよう」
 普段なら帰りを待っている。たが、血を分けた息子だ。その気持ちが分かったのだろう。
「それなら、私も手伝います」
「いいわよ。温めるだけだから、そう、なら、お皿を出してくれる」
 涙は、両親に始めて紹介された時を思い出したのだろう。その時の不安の気持ちと、一生懸命に家族になろうとした時の事を、それで、考えを変えた。
「はい、分かりました。このお皿で良いのでしょうか?」
「そうそう、それ、ご飯を盛ってくれる」
「はい、涙姉さん」
 薫は、二人の姿を見て微笑みを浮かべていたが、何故か時々顔を顰める。恐らく、父が帰って来たら、竜宮城で住む事、江見と結婚する事、一番の問題は、どうやって、二人を竜宮城に連れて行く事だろう。それを考えると頭が痛い。二親が心の底から祝いたい。行きたいと願えば行けるだろう。そうでなくても、薫と江見が、この世界から離れる時に二人の手を握っていれば、竜宮城に飛ばされるだろうが、その方法だけは考えたくなかった。
「頂きましょう」
「はい」
「頂きます」
 テーブルの上に料理が用意され、涙の言葉で食べ始める。無言で食べているが、美味しくて言葉を忘れている。そうではなかった。心の思いを伝えたいが、どう言えばと悩んでいるような食べ方だ。そして、食後は、甘い物を食べたから気持ちが解れたのだろう。心の思いは口にはしないが、楽しい会話を楽しんでいるように感じられた。
 食後から二時間後、玄関の方から、
「涙、何処にも寄らずに帰って来たよ。今日はカレーなのだろう」
 大人の男の猫なで声が聞こえた。
「父さんだ」
 薫が席を立ち上がった。だが、涙から、私が行くと視線を感じた。そして、頷いた。
「涙、誰か、来ているのか?」
「そうね、父さんが帰って来たわね」
 涙が立ち上がった。そして、声の元に向かった。数分後、驚きの声が響いた。
「え、薫が彼女を連れて来た」
「馬鹿」
「わしは、本が恋人かと、本気で思っていたが、普通の子だったか、安心したよ」
 そして、居間に涙だけが入って来た。父は着替えをしているはずだ。
「冷たくなったでしょう。今度は何を飲む」
 そう、薫と江見に声を掛けながら、カレーの鍋に火を点けた。
「江見さん、何を飲む。私と一緒に紅茶にする」
 そう言葉を掛けた。頷くのを見ると、薫は、
「涙姉さん。私と同じ紅茶を飲むって」
 江見は、薫の父が帰って来たから、と言うよりも、父の驚きの言葉で驚いたのだろう。
「そう、わかったわ」
 もう一つ調理器具で湯を沸かした。その音と同時に、居間の扉が開いた。
「ひさしぶりだな、薫、何か用があって来たのか」
 下手な会話をしながら入って来た。それも首や体を動かしながらだった。まるで、始めて着た服のように思えた。恐らく、普段は寝巻きを普段着と併用しているのだが、涙に言われたはずだ。それで、滅多に着ない服を着てきたのだろう。
「おお、薫の、彼女か可愛い人だな」
「父さん、江見さんと言います」
「そうか」
「外国人で、宗教的な理由で名字がないのです」
「そうか」
「宜しく、江見と言います」
「そう硬くならないで、気が早いと思うけど家族と思ってくださいね」
「はい」
 江見は頷いた。
「いいから、いいから、座って、座って」
「ありがとう」
 江見は、笑みを浮かべ、椅子に腰を下ろした。
「はい、お父さん、出来たわよ」
「涙、ありがとう。江見さん、済まないが、ここで食べさせてもらうよ」
「どうぞ、気にしないで下さい」
 江見が、そう答えた。
「ありがとう。ねえ、江見さん、薫とは同級生、部活動とかで会ったのかな?」
 カレーを二口ほど口に入れると問い掛けた。
「違うよ。父さん」
「そうか、アルバイト先とかかな」
 また、二口ほど口に入れると問い掛けた。
「紅茶が出来ましたわ。父さんも食べるのか、話すのか、どっちかにしてよねえ」
 自分と二人に紅茶を渡すと、父に鋭い視線を向け、言葉を掛けた。
「ごめん、ごめん、そうだったな」
「ありがとう。涙ねえさん」
「頂きます。涙姉さん」
 薫と江見は、ほぼ同時に言葉を掛けた。
「どうぞ、そう、同級生でなかったの」
「うん、本屋でね。欲しい本を手に取ろうとしたら、同じ本を取るところでねぇ。それで、手が触れて、顔を見たら綺麗な人だな。そう思って声を掛けたよ」
 薫は嘘を伝えた。
「そうなの」
「そうです。私も、そう感じました」
「それで、彼女になって、そう言ったのね」
「いやあ、結婚して、そう言った」
 薫は、本当の事が言えない為に、思い付く事を口にした。
「まあ」
 江見は真っ赤な顔を現した。
「まあ、気が早いわねえ」
 涙は驚きを表した。父も、その言葉を聞き、喉を詰まらせた。
「父さん、大丈夫、水、水を飲んで」
 江見の顔をみて、二親は承諾したと感じた。
「そう、江見さんは、良い、そう言ってくれたのね」
「うん、それでね。結婚式に出て欲しい。それで、家に帰ってきたよ」
「そう」
 涙は、笑みを浮かべているようだが、悲しみを表しているようにも思えた。
「まさか、江見さんの両親は知らないのか?」
 薫は、父が不安を表したので、答えた。
「父さん、安心して、許可は取ったよ」
「そう、それなら、何の問題もないわ。出席しますわ。ねえ、父さん」
「そうだな」
「でも、明日、一日は、私達に付き合ってね」
「そ、そうだな。でも、涙、いいのか?」
「父さん、もういいの」
「そうか」
「それで、何時なの?」
 涙が問い掛けた。
「出来れば、直にでも来て欲しい。明日の用事が終わったら直でも」
「そう、いいわよ。父さんは大丈夫?」
「上司が駄目、そう言っても出席するよ」
「そうね」
「そうだろう」
「父さん、ありがとう」
「気にするな、こう言う時の為に必死に働いてきた。何日でも休むよ」
「うん、うん」
「それでは、父さんは風呂に入ってくるな、今日は泊まってくのだろう」
「うん、そうする」
「なら、薫は、父さんの部屋だな。江見さんは、薫の部屋で休んでもらいな」
「そう、そうね。それがいいわね」
「はい、そうします、涙ねえさん、お父さん、ありがとうございます」
 父は仕事で疲れたのだろう。風呂から上がると、簡単な挨拶で寝室に入ってしまったが、薫、江見、涙、三人が、大きな欠伸をするのは夜遅くまで掛かり、それまで、会話を楽しんだ。そして、次の日、やはり、年配だからか、朝早く起きるのが慣れているのだろう。誰よりも早く起きて、涙は朝食の準備をしていた。小鳥が朝の挨拶をしているような時間になると、先に、薫を起こさないようにして、連れ合いを起こした。恐らく、二人だけの話しがしたかったのだろう。
「おはよう、コーヒーを飲むでしょう。どうぞ」
「ありがとう」
「お父さん、薫に全て話すわ」
「そうか、そうだな。まだ、子供だが、結婚するのだし、大人になったような者だしな」
「そうでしょう。これから、私達と同じ事が起きるかもしれないでしょう」
「そうだな、親として話しをしていた方が良いな」
 二人は、そう言葉を返していたが、段々と声の音が低くなった。コーヒーの香りを楽しんでいるようにも思えたが、薫の今までの思い出を楽しんでいるのだろう。
「父さん、涙姉さん、おはよう」
「薫、おはよう」
「おはよう」
 二人の親は、何時間、いや、何十分だろう。時間を忘れていたが、薫の挨拶で、現実を思い出した。そう感じられた。
「薫、江見さんは起きていた」
「涙姉さん、覗く訳無いでしょう」
 涙は、笑みを浮かべていた。恐らく、返事が分かっているように思える。自分が、始めて、連れ合いの両親を紹介された日の事を思い出しているように思える笑みだった。
「そうね。起きてくるのを待ちましょう。知らない家で疲れているでしょうからねえ」
「うん」
「三人だから、丁度良いわ。薫、私からお願いがあるわ」
「なに、涙ねえさん」
「ん、涙」
「あのねえ。私の事、涙姉さんでなく、お母さんって、呼んで」
「え、なんで、どうしたの?」
 薫は顔を青ざめ、驚きの声を上げた。
「あのね、薫が言いやすいなら、って、今まで思っていたけど、そろそろ、お母さんって呼んで欲しいわ。駄目ならいいけど」
「えっ、だって、お母さんって言ったら怒られたから、今まで呼ばなかったよ」
「え、嘘、私が怒った?」
「憶えてないの、私が幼稚園に入った時だった。帰りに、何かの食事会に一緒に行って、その時、会場に入る前、恐い顔して、この店に入ったら、お母さんって呼ばないでね。涙お姉さん。そう言うのよ。分かった。そう言われたよ。憶えてないの?」
「え」
 話しの意味が分からなかった。
「今だから、何の食事会か想像できるけど、たぶん、同窓会と思う」
「あああ、そう、うん、うん、そうかも、私、早く結婚したから、あの時期は子供がいる。そう言われるのも、そう思う事も恥ずかしかったからだわ。なんだ、そんな、理由だったの、馬鹿ね。そう言えば良かったのに」
「涙ねえさん。今でも、あの時の事を思い出すと、背筋が寒くなる。本当に恐かったよ。会場に入って、誤って、お母さん、そう言った時の涙姉さんの顔、鬼のようだった」
「何となく思い出したわ。初恋の人と会えた喜びと、やっと話しが出来て、あの時は足が地に付いて無いほど舞い上がっていたけど、怒った記憶は無いわよ」
「えっ、分かったよ。もういいよ。母さん、そう言えば良いのでしょう」
 薫は一瞬だが、言葉を無くしたが、逆らえない事に気が付き、承諾するしかなかった。
「ギッギギ」
 扉の開く音が聞こえた。親子の会話が大きくて、江見は、その声で起きたのだろう。でも、内容まで聞こえていないようだった。もし、聞いていたら笑ったかもしれない。
「遅くて、済みません。おはようございます」
 江見は、何度も頭を下げていた。
「おはよう、座ったら、江見さん。コーヒー飲むでしょう。紅茶の方がいいかな」
「ありがとう。涙姉さん。薫さんと同じな紅茶にします」
「そう、どうぞ」
 涙は、江見に紅茶を手渡した。三人は、江見の紅茶を飲む姿を見ていた。別に楽しいとか、変わった飲み方ではない。ただ、新しい家族が出来た喜びと、これから、長い連れ合いの、今の姿を忘れない為だろう。
「ねえ、お母さん」
 薫が問い掛けた。
「えええぇ、かっか薫、さん」 
 江見は、心の底からの驚きの大声を上げた。
「江見さんは、好きな呼び方でいいわよ」
「はい、お母さん」
 薫が突然、言い方を変えた理由を知りたかったが、会話の流れに合わせた。
「ありがとう、嬉しいわ、江見さん」
「ねえ、お母さん」
 先ほどは、江見の驚きの為に話がそれたが、再度、問い掛けた。
「なに、薫?」
「今日は何処に出掛けるのかな」
「涌谷町って言う所よ。朝食を食べたら直に出かけるわ。途中で弁当を買って、夕方まで河原で過ごす予定よ」
「ふ~ん、そうかぁ。いいよ」
 それ以上は聞かなかった。現地に行けば分かるだろうし、その場に着けば、たぶん、理由を話してくれる。そう思ったからだった。
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物語を書いて五年になりましたが、私は「左手の赤い感覚器官(赤い糸)と「蜉蝣(カゲロウ)の羽(背中にある(羽衣)の 夢の物語が完成するまで書き続ける気持ちです。
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